個、任せの限界。アジア相手に失った日本らしさ。森保Jの未来に暗雲... (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 もちろん、選手個々の能力を高めることは必要だ。能力が高いに越したことはない。

 だが、ヨーロッパや南米の強豪国と比べて、選手個々の能力で劣っているから、そこを伸ばさなければならない、というだけの発想なら、相手の土俵に立ち、自ら不利な戦いを望むようなものだ。

 そうではなく、自分たちの武器が何かを理解し、自分たちの土俵で勝負すること。そして、その武器は無理やり身に着けようとする必要はなく、自分たちがそもそも備えているものを伸ばすことで手にできるということ。その発想なくして、ワールドカップでのベスト8進出はないと思う。

 ストライカーは、周りにフリーの味方がいても、自分でシュートを打つくらいのエゴイストのほうがいい――。そんな話をよく見聞きする。そこが日本の選手に足りないところだ。だから、日本にはストライカーが育たないのだ、と。

 しかし、何もかもヨーロッパや南米のものさしで測る必要はない。自分のエゴを押しつけるのではなく、周りのことを考え、チーム全体にとって何が最善かを判断できるのは、日本のいいところでもあるからだ。

 ワールドカップ直前の監督解任という、ヨーロッパや南米の常識に照らせば、その時点でチームが崩壊してもおかしくないような事態に陥りながら、ロシアで望外の好成績を残せたことは、まさにその好例だろう。

 日本と対戦したチームの監督が、日本のよさとして「組織」や「規律」を挙げることがよくあるが、日本の選手たちは、それを特別に意識しているわけではない。個人によって多少の差こそあれ、持って生まれた気質として自然にできる。裏を返せば、日本人にとってはごく当たり前にできることが、どうしてもできない国がたくさんあるということだ。

 選手と一緒に写真を撮りたいからといって、ひとりで勝手なことはしないし、敵が捨てたゴミだからといって、見て見ぬふりはしない。それが、日本人の気質である。

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