ハリル解任会見での違和感。なぜ「目指すサッカー」は語られないのか (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki photo by JFA/AFLO

 目指すサッカーに基づいて監督探しが行なわれることは「イロハのイ」だろう。それが2010年まで行なわれてこなかったという事実に、いまさらながら驚愕するが、それが日本の現実だった。2010年は日本サッカーを語るうえで、意味で重要な年になる。

 とはいえ、ザッケローニが期待されるコンセプト通りのサッカーを実際に展開したかといえば、満足度で言うなら6~7割だろう。次のアギーレは上々だったと思う。アジアカップではベスト8でPK負けしたが、狙い通りのサッカーをした。満足度で言うなら8~9割の監督だった。

 3人目にあたるハリルホジッチが就任した際には、悪くても満足度6~7割、この期に及んでコンセプトを大きく外すことはないだろうと予想した。ところが、この有様だ。同じ座標軸上にはない監督だった。

 原さんが求めた攻撃的サッカーとは、言い換えればプレッシングサッカーだ。コンパクトなスタイルからボールをいち早く奪還し、サイド攻撃を絡めながらピッチを広く活用する。ボール支配率は自ずと上昇。パスのつながりもよくなるので、見栄えもよくなる。サッカーの人気上昇や普及発展にも貢献しそうな、日本人の体格、気質にもマッチしたサッカーだ。

 ハリルホジッチは、まさに見込み違いだった。その意味で原さん、霜田さんの責任は大きいが、いまそれを言っても始まらない。ハリルホジッチが日本代表監督に就いた後に、現職に就いた田嶋会長と西野技術委員長に求められたのは、ハリルホジッチという従来の座標軸から外れた違和感との向き合い方だった。

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