豊田陽平が語る「2014年、鳥栖に何があったのか」 (5ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by 7044 AFLO

「ユンさん(尹監督)からメグさん(吉田監督)になって、練習のやり方を変える、ということになっていました(縦に速い攻撃だけでなく、ポゼッションも導入しようとしていた)。でも、その中で結果が出ていなくて。選手としては『せっかく首位に立ったんだし、チャンスを簡単に捨ててしまうのはなしにしようよ。今まで作ってきたものがあるんだから、それで行くべき。それならたとえ結果が出なくてもしょうがない』という流れになりました。

 練習前のミーティングのときでした。ユンさんの時代から練習前にミーティングをする習慣があって、話をしてから練習場に向かうことになっていたんです。そのときはメグさんの話が終わってから、『選手だけ残って話をしよう』ということになって。誰が音頭を取ったというよりも全体の雰囲気でしたね。たしかバンさん(播戸竜二)やミチ(安田理大)が声をかけて、司会役みたいになったのが選手会長をやっているケイ(池田圭)でした。結局、『今までの慣れたやり方で、後悔なくやっていこう』、ということになって。監督にも選手の意志を伝えられました」

 選手の総意が監督を動かす形だった。尹体制で作り上げた、強烈なプレッシングとしぶとい守備と縦に速い攻撃を、チームは再び見せるようになった。左右から入るボールに対し、豊田は勇猛果敢に飛び込んだ。その後の8試合は5勝2敗1分け、鳥栖らしさを見せて挽回した。

 そして最終節には鹿島アントラーズに1-0と勝利。昨シーズンを上回る5位という順位に入っている。しかし、追い求めた優勝にはあと一歩及ばなかった。その事実が変わることはない。

 なにが足りなかったのか?
(つづく)

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