都並敏史が語るドーハの悲劇。「オフトは僕とだけ握手をしなかった」 (2ページ目)

  • 渡辺達也●文 text by Watanabe Tatsuya
  • photo by AFLO

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 足の痛みは日に日に増していったが、都並が休むことはなかった。最終予選直前には、日本代表に合流して、9月のスペイン合宿にも参加した。試合には出場しなかったものの、練習は普通にこなした。しかしその間、都並は足の状態の悪さを自覚し、最終予選に行くべきか、行かざるべきか、ずっと悩んでいた。そして帰国後、日本の病院で精密検査を受けると、左足首を写したレントゲン写真に「1本の真っ黒のラインがはっきりと写っていた」という。完全に骨折していた。そのとき、都並自身は、決戦の地となるカタール・ドーハ行きを諦めようと決断した。

「ドーハに行くか行かないか、(気持ちの中で)葛藤はありましたよ。でも、今でも僕はそう思っているけど、あのときの状態では(自分は)日本代表レベルの選手じゃないんですよ。どうがんばっても日本代表でトップパフォーマンスのプレイはできない。ならば、『俺はドーハに行くべきではない』と思ったんです。昔から日本代表が好きだし、日本代表は最高の選手が集まるところですから、レントゲン写真の"真っ黒な線"を見たとき、自分は今、(日本代表選手としての)権利はないと思ったんです」

 ところが、オフトジャパンは都並に代わる左サイドバックをなかなか固定できないでいた。数人の選手が試されたが、指揮官のオフトが満足できるだけの選手は現れなかった。ゆえに、ドーハに出発する直前、清雲栄純コーチから都並に電話がかかってきた。

「おまえが必要なんだ。ムードメーカーとしても、戦力としても必要なんだ。オフトも『来い』と言っている」

 そして、都並は集合場所である成田のホテルに向かった。都並の決断は、わずかな時間で引っ繰り返ったのである。

「清雲さんから電話をもらったあと、こちらから折り返して『(ドーハに)行きます』って伝えました」

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