中国戦で見えた光明。ザックジャパンの新たな楽しみとは? (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki 早草紀子●撮影 photo by Hayakusa Noriko

 ザッケローニ監督が選手を称えたのは、「入りの15分と終了間際の15分を除く、真ん中の60分間」である。

「これは選手にも言おうと思っているが、60分間はよくやった。ゲームプランを立てるなかで、3日間(の準備)でどこまでできるかと思っていたが、いいサプライズがあった。想定よりよくやってくれた」

 そして、立ち上がりの15分間については「初めて合わせる(一緒にプレイする)ため、(選手同士の)適正な距離感を見つけられなかった」と指摘する一方で、「(時間の経過とともに)あれほど早く適正な距離感を見つけられるものかと驚いた」とも語っている。

 もちろん、一時は3-1とリードしたことを考えれば、引き分けという結果には不満が残る。それを若さゆえの経験のなさや、ひ弱さと見ることはできるだろう。また、コンフェデからの流れを引きずってこの試合を見てしまうと、またかの思いは強くなる。

 だが、ザッケローニ監督が「このメンバーに関しては集まったばかりなので、今までの代表の流れと一緒にしてはいけない」と話していたように、今大会に関しては、その位置づけをしっかりと理解しておく必要がある。

 初めて(あるいは、それに近い状況で)日本代表でプレイし、今後の代表定着を狙う選手たちにとっては、勝てばさらに大きな自信になったはずだし、指揮官に与えるインパクトも大きなものになっただろう。その意味において、せっかくの"勝ち試合"を落としたのはもったいなかった。

 それでも、「個人がどこまでできるのかを見ることが目的」(ザッケローニ監督)という点に関して言えば、おもしろい人材は相当数いたように思う。

 1トップの柿谷をはじめ、特に前線の選手は技術的な要素で中国を上回っていたのはもちろん、フィジカル的な要素でも負けてはいなかった。意外と言っては失礼ながら、ときにはラフなチャージを仕掛けてくる中国に対しても総じてひるむことなく、そして簡単に倒されることなくプレイできていた。

 確かに、立ち上がりはすべてで後手に回った結果、簡単に先制点を許した。ラスト15分は完全に足が止まり、同点に追いつかれた。あらを探そうと思えば、いくらでも見つけることはできるだろう。

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