【プロ野球】江川卓とのバッテリーは本当にノーサインだった? 篠塚和典が振り返る山倉和博のリードと、意外性のバッティング (3ページ目)
【別格だった"打てるキャッチャー"】
――キャッチャーのバッティングに対する期待値は高くなかった?
篠塚 そうですね。やっぱりキャッチャーは守備。ピッチャーをリードするほうが大事ですから。もちろん打ってくれればありがたいですが、監督やコーチとしても、「まずは守るほうをしっかりやってくれ」という感じなんじゃないですか。
自分が実際にグラウンドで見ていた"打てるキャッチャー"といえば、田淵幸一さんです。それほど一緒にプレーしていたわけではないですが、打球の放物線と飛距離が、「これぞホームランバッター」という感じなんです。1970年代から80年代初頭にかけて、ほかに長打を打てるキャッチャーはいなかったような気がします。中日にいた木俣達彦さんも30本以上ホームランを打ったりしていましたが、長打を打つバッターという印象はなかったです。
――田淵さんはずば抜けた存在だった?
篠塚 そりゃ、別格でしたよ。田淵さん以降のキャッチャーのホームランバッターとなると、阿部慎之助になるでしょうね。中尾孝義さんや古田敦也、伊東勤、谷繁元信などもいいバッターでしたが、常に長打を打つバッターという感じではなかったですから。阿部以外だと、城島健司もそうでしたね。
――山倉さんは早稲田大時代、東京六大学野球リーグで盗塁王を獲得した経験がありますが、走塁はどう見ていましたか?
篠塚 走り方は速そうに見えないのですが、実際は速かったですね。特に若い頃は。松本匡史さんなどに比べると劣りますが、「中の上」という感じじゃないですか。チョコチョコチョコっという走り方は、長野久義に似ていますね。ただ、年齢を重ねるにつれて、徐々に衰えていったように見受けられました。
盗塁はあまりしていなかったと思います(通算盗塁数は27)。キャッチャーはしゃがんだり立ったりを繰り返しますし、下半身への負担が大きいですからね。山倉さんの場合も、走塁以上に、キャッチャーとしてチームを支えることが大事だったんだと思います。
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
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