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工藤公康新監督のもとで「あの魔球」は復活するか? 柳裕也が大学時代に投げていた驚愕の110キロカーブ

  • 安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe

流しのブルペンキャッチャー回顧録
第19回 柳裕也(中日)

 柳裕也が明治大のエースとして君臨していた3、4年生だった頃のことだ。東京六大学野球のリーグ戦で、落差の大きなカーブを武器に、各校の強打者たちを次々と空振り三振に斬って取る。その姿を見ながら、どうしてだろう......と首をかしげたことがある。

 神宮球場のバックスクリーンに表示される球速は110キロ程度。初球にその緩いカーブを投げると、打者はあっさり見送り、ストライクになる。追い込んでから、再びタテに落とせば、バットコントロールの拙い打者など、いとも簡単に空振り三振に仕留められてしまう。

 そのあと、「どんなもんだい! 一丁あがり!」とでも言いたげに、打者にクルッと背を向け、バックスクリーンを見上げる柳の姿が、やけに格好よかった。ほかの投手が何やら叫びながらガッツポーズを決めるパフォーマンスなど、ずいぶん安っぽく見えたものだ。

明治大時代の柳裕也 photo by Sankei Visual明治大時代の柳裕也 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【空振りを奪う緩いカーブの謎】

 あの緩いカーブで、なぜ空振り三振を量産できるのか。その謎が解けたのは、2016年、柳が4年生になる春のリーグ戦直前だったろうか。東京都府中市にある明治大野球部のグラウンドを訪ねた時のことだ。

 当時の善波達也監督の厚意で、それまでにも何度かブルペンに入らせてもらっていた。2011年の野村祐輔(現・広島二軍投手コーチ)に始まり、2014年の山?福也(現・日本ハム)、2015年の上原健太(現・日本ハム)......。柳で4度目となる。

 140キロ台前半のストレートに、110キロ前後のカーブ。明治大のエースが相手とはいえ、「今日はいくらかラクかな」とタカをくくっていたところもあった。それが、とんでもない間違いだったと悟ったのは、投球を受け始めて10分ほど経った頃だったろうか。

 柳のストレートは、すばらしく回転のいいボールだった。バックスピンの効いた球質で、まるで自らホップしようとする意志を持った「生きもの」のようにも見えた。これなら、打者がボールの高低を見誤って打ち損じたり、捉えたと思った打球がファウルになったりする。実戦で大きな武器になるボールだということは、容易に想像できた。

 そのストレートを20球ほど受けたあと、「カーブ、お願いします!」と声がかかった。

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著者プロフィール

  • 安倍昌彦

    安倍昌彦 (あべ・まさひこ)

    1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。

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