【プロ野球】「走れないなら解散だ!」 近藤貞雄の無茶振りに屋鋪要も困惑 伝説のスーパーカートリオ「ノーサイン」の舞台 (2ページ目)
ただ、スイッチヒッターへの転向は、決して順調なものではなかった。
「スイッチになった時、苦労しましてね。コーチに『上から叩け』って言われて、なかなか当たらない。疑問を抱きながらも言うとおりにしないと使ってもらえない。否応なしに従っていたら、クラウンライター(現・西武)から移籍された基満男さんに言われました。『上から叩こうとしていたら、いつまでも当たらん。おまえの強い腕を生かして横にさばかないとあかんで!』って」
俊足を生かすための「上から叩いてゴロを転がせ」という指導は、屋鋪の持ち味を十分に引き出すものではなかった。見かねた巧打者の基が「横にさばかないと」と言ったのは、ボールが来た方向にそのまま打ち返せ、という意味。先輩の助言もあって打力が向上した屋鋪は、センターのレギュラーに定着する。1984年には初めて打率3割を突破。8番を打つことが多かった打順も、8月末には1番に上がった。
ただ、チームは投打とも振るわず、前年3位から最下位に転落。関根に代わって監督に就任したのが近藤だった。チームが低迷するなかでも、遠藤一彦が2年連続で最多勝に輝き、高木豊が自身初の盗塁王になり、屋鋪が初のダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を獲得するなど、明るい材料はあった。
【近藤貞雄が植えつけた挑戦する勇気】
1984年10月15日の監督就任会見で、近藤はこんな構想を明かしている。
「高木豊、屋鋪の球界トップを誇る1、2番。ふたりで100個ぐらいの盗塁をさせたい」
当初は高木と屋鋪を1、2番に据え、その機動力を最大限に生かす考えだったようだ。
「1、2番だったんですか。初めて知りました。『ふたりで100個ぐらい』というのは、キャンプで加藤さんが『50個失敗していいから100個走れ』と言われた、という話に通じますね。僕は直に言われてないんですけど、『とにかく盗塁はしなさい。失敗してもいい』と言われました。この近藤さんの言葉で、すごく気持ちが楽になりましたね。僕が巨人のコーチだった時と真逆ですよ」
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