「よくないことは指摘しないと、組織として強くなれない」 18歳の森下暢仁が語っていたリーダーの資質 (4ページ目)
4年時には、3学年上の柳裕也(中日)に続いて「エース兼主将」を担った。
リーグ戦前のオープン戦だったと思う。試合後、ベンチ前の円陣で善波達也監督(当時)が小言を並べた直後、森下がナインに怒号を飛ばした。
「おまえら、監督さんからあそこまで言われて、それでいいのか!」
監督の意図を汲み取った主将が、あえて火の粉をかぶってチームを引き締めた。全日本大学野球選手権でもそうだった。苦戦していた試合の後半、ブルペンでの投球を止め、大急ぎでベンチへ戻ってきた。
「明治はこんな試合しかできんのか! バッター、なんとかならんのか!」
「御大」こと島岡吉郎監督の「なんとかせい!」が、よみがえったようだった。善波監督は、そんな森下をこう評していた。
「森下はほんとに変わりましたね。4年生で主将になってからは、エースでありながら厳しいリーダーでね。『自分は嫌われてもチームのためになるなら』って体を張って役目を果たしてくれました。ほんと、頭が下がります」
そんな話を、私はスタジオで30分間しゃべり続けた。番組は大盛況のうちに終わった。
森下暢仁とはどんな人物なのか──カープファンの疑問にも、少しは答えられたのではないか。そして翌日のドラフト会議。広島は宣言どおり、1位で森下を指名した。
あれから7年。森下は今、広島でプロ7年目のシーズンを戦っている。今季は不調に苦しみ、プロ入り後初めて不振による二軍再調整も経験した。チームも低迷するなか、私は高校3年生だった森下の言葉を思い出す。
「よくないことはよくないって指摘してくれないと、組織として強くなれないじゃないですか」
やさしそうな表情の奥に、激しいものを秘めていた「外柔内剛」の18歳。明治大では、自分が嫌われることを恐れず、チームのために声をあげる主将になった。「組織」を考え、「リーダーシップ」を発揮してきた若き硬骨漢が立ち上がるとすれば、それは「今」なんじゃなかろうか──。秋の夜長に、そんなことを思う。
森下暢仁(もりした・まさと)/1997年8月25日生まれ、大分県出身。大分商高では1年夏の甲子園に出場するも登板機会はなし。明治大では4年時に主将兼エースを務め、全日本大学野球選手権で38年ぶりの優勝に貢献。2019年ドラフト1位で広島に入団した。1年目の2020年に10勝3敗、防御率1.91をマークして新人王を獲得。翌2021年の東京五輪では侍ジャパンの一員として金メダル獲得に貢献した。2025年には自身初の開幕投手を務めた
著者プロフィール
安倍昌彦 (あべ・まさひこ)
1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。
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