【プロ野球】「ファンのみんな、俺のこと、どう思っていたのかな」 元西武・平井克典が引退前に明かした意外な胸の内 (4ページ目)
【成功も失敗も、すべてが勉強だった】
目標としていたNPB復帰はかなわなかった。それでも、未知のメキシコへ飛び込み、独立リーグで若い選手たちとプレーしたからこそ気づけたことがある。
そうして迎えた、10年間の現役生活の終わり。
「ファンのみんな、俺のこと、どう思っていたのかな」
自身を「気にしい」と表現する平井は、ユニフォームを脱ぐ今も、そんなことを考えているという。
「ファンは見ていて、打たれた時のほうが多かったと思います。僕のなかで、抑えた記憶があまりないのもありますけど。そういう時でも変わらず声をかけてくれて、応援してくれました。それが間違いなく、僕らの頑張るエネルギーというか、一番の活力になりました。やっぱり僕らは、抑えているところを見てほしい。そのために頑張ってこられたのは、間違いなくファンのみなさんのおかげです」
年間81試合に登板し、パ・リーグ記録を打ち立てたシーズンもあった。勝利の方程式を担い、リーグ連覇にも貢献した。それでも、平井の脳裏によみがえるのは"いい記憶"ばかりではないという。ホールドを積み重ねた試合よりも、痛打された場面のほうが鮮明に残っている。
「先発ピッチャーには、本当に『ごめんなさい』です。リリーフしかやっていなかった頃は、『もっとイニング投げろよ。行けるだろ』とブツブツ言っていたんです。でも、僕も2020年以降に先発をやって難しさを知り、長いイニングを投げられない時は『リリーフに申し訳ない』という気持ちになりました。
そうやって、いろんな勉強をさせてもらったな。負けん気だけでやってきたのが、いつの日か、わがままに変わっていたような気がしなくもないけど。その分は、監督、コーチには本当に申し訳ないなという思いもあります。とりあえず10年間、たくさんの勉強をさせていただきました」
81試合登板のパ・リーグ記録を樹立してから7年。誰よりもマウンドに上がったシーズンがあり、先発にも挑戦した。NPBを離れてからは海を渡り、メキシコで文化の違いに驚き、独立リーグではひと回り以上年下の選手たちと野球をした。
成功も、失敗も、悔しさも、すべてが平井にとっての「勉強」だった。
10年間、右腕を振り続けた平井克典は、選手としての野球人生にひと区切りをつける。そして今度は、その10年間で得たものを誰かに伝える側として、新たな野球人生を歩み始める。
平井克典(ひらい・かつのり)/1991年12月20日、愛知県出身。飛龍高から愛知産業大、Honda鈴鹿を経て、2016年ドラフト5位で西武に入団。1年目から42試合に登板し、18年には64試合で21ホールドを挙げてリーグ優勝に貢献。翌19年にはパ・リーグ記録となるシーズン81試合に登板し、リーグ連覇を支えた。その後は先発も経験するなど幅広い役割を担い、西武では通算350試合に登板して29勝25敗、104ホールド、防御率3.39を記録。2025年限りで西武を退団し、26年はメキシカンリーグを経てBCリーグの神奈川フューチャードリームスでプレー。同年8月に今季限りでの現役引退を表明した
著者プロフィール
中島大輔 (なかじま・だいすけ)
2005年から英国で4年間、当時セルティックの中村俊輔を密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『山本由伸 常識を変える投球術』。『中南米野球はなぜ強いのか』で第28回ミズノスポーツライター賞の優秀賞。内海哲也『プライド 史上4人目、連続最多勝左腕のマウンド人生』では構成を担当。
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