【プロ野球】「一緒に移動しなくていい」 規律全盛の球界で異彩を放った近藤貞雄の合理主義と選手に認めた驚きの自由 (4ページ目)
近年の野球界ではピッチクロックをはじめ、試合時間短縮のためのさまざまな施策が導入されている。もちろん、時短そのものが監督の仕事ではない。それでもフラッシュサインの採用には、無駄を省き、ファンにとってテンポのいい、面白い野球を見せたいという近藤らしい合理主義が表われていた。
その合理性は、グラウンドの外にも及んでいたという。
「これは野球そのものじゃないですけど、近藤さんは移動の時の自由も認めていたと思うんですよ。普通、選手はみんな揃ってスーツで移動するわけです。巨人担当の時なんか、球団から『一緒に移動する時はスーツを着てくれませんか?』って言われて。『一緒にテレビに映ることもあるので、だらしないかっこうをしないでください』ってお達しがあって、ネクタイ締めてね」
今野が巨人を担当したのは1996年から97年。長嶋監督の第2次政権下で、とりわけ96年は最大11.5ゲーム差をひっくり返した「メークドラマ」でリーグ優勝を果たした。チームへの注目度は極めて高く、その影響は周囲のマスコミにまで及んでいた。
「その点、日本ハムはけっこう自由な服装で。角(盈男)さんと若菜(嘉晴)さんとか、ひどかったですよ(笑)。移動の時、アロハシャツですから。それで近藤さんに『選手がアロハで大丈夫なんですか?』って聞いたら、『いや、いいんだよ、別に。一緒に移動しなくていいしさ』って言ってて。当時の野球界は規律、規律でガチガチでしたから、ちょっと考えられなかったです」
マスコミに向かって次々と言葉を発したのも、単に目立ちたかったからではない。自分が面白いと思う野球、新しいと思う野球を言葉にし、それを周囲に投げかける。その反応まで含めて、近藤にとっては野球だったのかもしれない。
(文中敬称略)
著者プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など
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