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【追悼・張本勲】篠塚和典が思い出す安打製造機「ハリさん」の素顔 イチロー、自分とのバッティングの違いも語った

  • 浜田哲男●取材・文 text by Tetsuo Hamada

 NPB史上最多の通算3085安打をマークし、引退後は球界のご意見番としても知られた張本勲氏が9月9日に逝去した。巨人時代に4年間チームメイトとして過ごし、同じく球史に残る安打製造機として活躍した篠塚和典氏に、遠征時に同部屋になった経験など、印象に残っているエピソードを聞いた。

現役通算3085安打という偉大な記録を残した張本勲 photo by Sankei Visual現役通算3085安打という偉大な記録を残した張本勲 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【遠征で一度だけ同部屋に】

――張本さんの訃報は、どのような形で知りましたか?

篠塚和典(以下:篠塚) ハリさん(張本氏の愛称)とは、今年7月27日の「サントリー ドリームマッチ」でお会いしたばかりでした。その時はすごく元気そうだったので、報道で知った時は「まさか......」という心境でした。病気を患われているという話も聞いていなかったので。

 ドリームマッチが始まる前、参加するOBが集まって話す時間があるのですが、ハリさんは「OBとして試合をする時にはヘラヘラ笑わない! やるからには真剣にやらなきゃいけない」と喝を入れてくれました。

――張本さんは1975年オフにトレードで日本ハムから巨人に移籍し、1976年の長嶋茂雄監督のリーグ初優勝や二連覇に大きく貢献しました。篠塚さんは1975年のドラフト1位で入団し、張本さんと4年間チームメイトでしたが、最初に接した時のことを覚えていますか?

篠塚 自分がプロ2年目で初めて一軍に上がった時の試合前、相手チームの練習をベンチで見ていたらハリさんがたまたま私の近くに来たんです。そこで「お世話になります。篠塚です!」とご挨拶をしたら、「頑張れよ!」と声をかけてもらったのが最初の会話だったと思います。

――遠征時、同部屋になったことがあるとお聞きしたことがあります。

篠塚 巨人が遠征時の定宿として利用していた「竹園(ホテル竹園芦屋)」で、一度だけ同じ部屋になりました。ハリさんは17歳上の大先輩でしたが、当時は先輩が後輩に対して「ああしろ、こうしろ」と指示してくれることはなかったので、とにかくハリさんに失礼がないように気を張っていました。何も言わずに外へ出ていくことなんてできませんしね。

 ふたりでテレビを見る時なども特に会話はないですし、無言でじっと見ているだけ。でも、遠征の最後の日か前日あたりに、「シノ(篠塚氏の愛称)、好きに外出していいんだぞ」と言われた記憶があります。私がいつも隣りでじっとしているから、「どこかへ行かないのかな?」と思っていたのかもしれません(笑)。まぁ、歳も離れていましたし、ハリさんから見れば小学生のような感覚だったんじゃないですか。

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著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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