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【追悼・張本勲】篠塚和典が思い出す安打製造機「ハリさん」の素顔 イチロー、自分とのバッティングの違いも語った (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Tetsuo Hamada

【偉大なバッティングの教材】

――巨人での歴代シーズン打率では、篠塚さんが.357(1981年)、張本さんが.355(1976年)です。

篠塚 それは、たまたまだとは思いますけどね。プレッシャーのある人気球団の巨人で、プロとしてのあり方を教えてもらいました。

――張本さんは球界のご意見番として知られ、時に厳しい言葉を口にされる方という印象もあります。実際はいかがでしたか?

篠塚 普段は気さくですし、親しみやすい方です(笑)。話し方も、テレビ番組に出ている時とは違う感じですし。話しかけやすい雰囲気がありますし、こちらが質問したことに対して、しっかりと考えて答えてくれました。

――篠塚さんにとって、張本さんはどのような存在だったのでしょうか?

篠塚 球界を長く牽引された方ですし、安打製造機という愛称を広く知らしめた方でもあると思います。自分も安打製造機と言われたりしましたが、それもハリさんのおかげですね。

 金田正一さんの400勝じゃないですが、3000安打というのは未知の数字です。自分なんかがそれを目標にしてプレーすることはなかったですし、そこまでやるためには多くの試合に出る必要があるので、体が強くなければいけません。それだけ偉大な選手だったということですね。

――球界を長く支えてこられたレジェンドが亡くなられるのは、寂しいですね。

篠塚 我々もいずれその時がくるわけですし、仕方ないことなのはわかっていますが、やっぱり寂しいですよね。まだ実感がわかないというのが正直なところです。ただ、野球に携わっている以上、子供たちに「こういう選手がいたんだよ」と伝えていくのは大事な役割だと思っています。

 野球教室で子供たちにバッティングを教える時、「バットのヘッドを寝かしてみようか」とアドバイスすることがあるのですが、その時にハリさんのバッティングが頭に浮かぶんです。そういう意味では、ON(王貞治氏・長嶋茂雄氏)と同時代に活躍した、偉大なバッティングの教材のひとつでもあると思いますね。

【プロフィール】

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、8度のリーグ優勝、3度の日本一を経験した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年に1軍打撃コーチ、1軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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