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【プロ野球】「一緒に移動しなくていい」 規律全盛の球界で異彩を放った近藤貞雄の合理主義と選手に認めた驚きの自由 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Yasuyuki Takahashi

「66歳になる年ですから、見た目はおじいさんなんですよ。でも、『首のシワが見えるのが嫌だ』って言って、夏でもハイネックのアンダーシャツを着ていたんですね。本人は気取って、『おしゃれだ』って言ってるんですけど、僕ら記者の間では『老人感を隠すためでしょ』って言ってて。当時、60歳を超えて監督をやる人はそんなにいなかったですからね」

 のちの2006年、野村克也が71歳で楽天監督に就任し、74歳まで指揮を執った。長嶋茂雄は2001年、66歳で巨人監督を退任している。ただ、ふたりはいずれも30代で初めて監督に就任した。一方、近藤が正式に中日の監督に就任したのは55歳。キャリアのスタートからして、当時としては異色の「高齢監督」だった。

「近藤さんとは、試合前にベンチに座って話をする機会が多かったんですよ。その時、若い記者が何人かいて、女性も2人いて、野球をまったくわからないルーキーみたいな記者もいたんです。近藤さんはそういう記者にも、噛んで含めるように教えてくれていましたね。話し好きだから、というのもあったと思います。昔の話もしたり、野球以外の、趣味のテニスの話もしたりして」

 プロ野球の監督で「話し好き」といえば、野村にもそんなイメージがある。ただ、その話の中身は近藤とはかなり違っていたようだ。

「ノムさんはね、ずっと野球の話。昔の話もあるんですけど、基本はコアな野球の話なんです。だから当時、『野村番を1年やれば、ほかの監督に3年ついたぐらいの野球の知識が得られる』って言われていました。ミーティングで選手にするような話を、僕らにするわけですよ。ピッチャーの配球の話とか。そのへんは近藤さんとはまた違いますね」

【近藤貞雄流の合理主義】

 マスメディアを積極的に活用し、記者との会話を好んだ近藤。一方で、野村のように配球や技術論を細部まで記者に説くタイプではなかったということか。

「僕らに細かいことまで教えてくれなかったのか、あるいはそこまで考えていなかったのかもしれないですね。そのあたりで言うと、近藤さんがよく考えていたのは、日本の野球のシステムについてです。野球界の仕組みそのものに疑問を持っていた部分が、わりと多かったと思います。

 たとえば、サインもそうです。日本ハムの監督になった時にブロックサインをやめて、フラッシュサインに変えたんですよ。ブロックサインはキーがわかると相手に読まれる、というのも理由ですが、動作が多くて時間がかかると。日本のプロ野球の試合は長い、試合が長引くのは好きじゃないということで、数字の組み合わせでパッと出せるフラッシュサインにしたわけです」

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