【プロ野球】「一緒に移動しなくていい」 規律全盛の球界で異彩を放った近藤貞雄の合理主義と選手に認めた驚きの自由 (2ページ目)
【ダンディーな老将の意外な素顔】
「まだ阪神担当だった時のことです。以前から知っている広島のコーチに会って、『今度、日本ハムの担当になるんですけど、近藤さん、けっこうダンディーじゃないですか?』って聞いたんですね。そしたら、『そんなことないよ。コーチ時代に監督とケンカしてケツまくったんじゃないの。意外と短気だから気をつけろ』って言われまして」
近藤が中日のヘッド兼投手コーチを務めていた1974年のシーズン終盤。巨人と激しい優勝争いを繰り広げるなか、フル回転していた星野仙一の起用法をめぐって、監督のウォーリー与那嶺と衝突した。
星野をスクランブル起用したい与那嶺と、残り日程をにらんで温存を主張する近藤。ふたりは、つかみ合いになりかねないほど激しく言い合ったという。しかも、それが試合中のベンチ、選手たちの目の前で起きたこともあり、他球団にまで語り継がれていたようだ。
「実際、ダンディーに見えて、『瞬間湯沸かし器』と呼ばれていたとおり、短気な方でした。普段は穏やかそうに見えるんですけど、スイッチが入ると激しいんですよね。話していて下唇が出てきたら、『あっ、スイッチ入った。この人、怒ってるな』ってわかるんです(笑)。ゲームが終わって話を聞いている時も、興奮すると下唇が出てくるんですね」
試合後の会見でスイッチが入るのは、やはり負けた時だったのか。それとも、答えにくい質問を投げかけた時だったのだろうか。
「質問は大丈夫で、勝ち負けでとくに違いもなかったです。負ければ下唇が出る時はありましたけど、会見拒否はなかったかな。阪神担当の時の監督だった村山実さんはしょっちゅう会見拒否してました。記者が敵だと思ってましたから、よく怒られました。『そんな話、誰から聞いたんや』とか。コーチに聞いた話だったんですけどね。近藤さんはそういうことが一切なかった」
【首のシワを隠すため夏でもハイネック】
1925(大正14)年生まれの近藤は、この1991年に日本プロ野球の監督として当時の最高齢記録を更新していた。では、年齢相応の好々爺らしい一面はなかったのだろうか。
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