【プロ野球】加藤秀司に頭を叩かれた、若き日の松永浩美 山田久志からの2000本安打達成には「やっぱりすごいな」 (3ページ目)
――遅いボールが打ちにくいのですか?
松永 ボールが遅い場合は、こちらが体を動かさなければいけないので、どちらかというと打ちにくかったです。速いボールの場合は、相手のパワーを利用させてもらう感覚。たとえば伊良部秀輝(元ロッテ、ヤンキースなど)と対戦する時は、いつもそんな感じでしたね。伊良部は力一杯投げてきましたが、自分は「軽くチョンって打つかぁ」と思っていましたよ。
【ホームランで2000本安打を達成】
――加藤さんは南海ホークス(現福岡ソフトバンク)に在籍していた時に、ホームランで2000本安打を達成されました。その時のピッチャーが、元同僚の山田久志さんだったことも印象的です。
松永 私はその試合でサードを守っていましたし、ふたりの対戦に注目していました。加藤さんは軸が絶対にブレませんし、アンダースローをそれほど苦手にしていませんでしたから、「たぶん、ホームランかな」という気がしたんです。そう思っていたら、加藤さんが右中間にポーンっとホームランを打って、2000本安打を達成するんですから、「やっぱりすごいな」とあらためて思い知らされましたね。
――松永さんにとって、加藤さんはどういう存在ですか?
松永 自分のバッティングの原点であり、送球の原点でもあります。キャッチボールの大切さを気づかされたことは先ほど(前編で)もお話しましたが、加藤さんからは言葉ではなく、行動や態度から学ぶことが多かった。野球が技術だけではなく、メンタルも大事なスポーツだということも教わりましたね。
加藤さんが30代序盤で脂が乗っていた頃、自分は20歳過ぎたくらいだったと思います。さまざまなことを学ばせていただきましたし、一緒にグラウンドに立ち、プレーできたことは自分にとって幸運でした。
【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)
1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。
◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
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