「君がマスクを被るのは優勝するためだ」 世界の王貞治と20歳の城島健司が築いたホークス黄金時代の礎 (2ページ目)
── 当時のダイエーは低迷期。そんなチームが王監督のもとで少しずつ変化していくわけですね。
城島 僕がルーキーで、王監督は就任したばかりの1995年のオーストラリアでのキャンプ。その最初のミーティングで、王監督はこんなことを言いました。「日本人は気持ちを表現するのが下手だから、好きな人にアイラブユーを言えない。でも、我々プロは優勝するというのをはっきり口にしないといけないんだ」と。
正直、当時のホークスはそんなことを言える成績じゃありません。でも王監督は「君たちに優勝を味わってほしいんだ」と強く言っていました。ただ、あの時の僕はまだルーキーなのでチームの優勝よりも自分のことで精一杯。周りに目を向ける余裕がなかったのが正直なところです。
【20歳にしてホークスの正捕手に】
── ファームで経験を積んで入団3年目の1997年シーズン、20歳にして開幕マスクを被ることになりました。
城島 前年までの正捕手はパ・リーグのベストナインも獲っていた吉永(幸一郎)さん。僕にすれば雲の上のすごいキャッチャーですよ。その人をほかのポジションに回して、僕がマスクを被ることになった。正直、「なんでオレなんだろう?」と思いましたよ。ただ、王監督にはこう言われました。「君がマスクを被る理由。それは優勝するためなんだ」と。自分を使ってくれる王監督のために優勝して恩返しをするんだ。そう決心したのです。
── 真の師弟関係が本格的に始まっていくのですね。
城島 そうですね。王監督が何を考え、どんな野球をやりたいのか、それらのすべてをキャッチャーである僕が誰よりも知っておかないといけないと思いました。若かろうがベテランだろうが監督のやりたいことを体現しなきゃいけない。それがキャッチャーというポジションです。
言葉が正しくないかもしれませんが、監督に赤信号でも突き進めと言われたら「わかりました!」と前進する。次の交差点でどちらに曲がるのか、それを予測する気構えも必要なんです。将棋に例えるなら僕らが駒になり、監督は俯瞰しながら指しているわけですよ。まだ20歳の僕でしたけどそのように考え、それができなければチームを勝たせることはできないと思っていました。
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