江川卓は老獪なピッチングで「プロ予備軍」の早大打線を圧倒 1年生ながら胴上げ投手となった (2ページ目)
プロ予備軍ともいえる早稲田大、春のリーグ戦の覇者であり、江川のボールが通用するのが、本当の意味で試金石となる一戦となった。
体が絞れたとはいえ、まだ7割程度にしか戻っていない江川は、立ち上がりを攻められるも早稲田打線を球威で押し込む。2回にエラー、四球などで一死一、三塁とし、併殺崩れの間に1点を奪われるも、許したのはこの得点のみ。奪った三振こそ3つだったが、被安打5で完投勝利。むやみに三振は狙わず、省エネピッチングに徹した。
ただ、江川にとってひとつだけショックな出来事があった。それは9回二死で迎えた八木に対して、三振を狙いにいくもストレートをセンター前に運ばれた。高校時代は、三振を狙って投げた球は打たれたことがなかった。大学野球のレベルの高さを感じ瞬間であったが、それでも秋のリーグ戦は6勝1敗、防御率1.14という成績で6シーズンぶりの優勝に貢献。1年生にして胴上げ投手となった。
【剛腕から老獪な投手へ変貌】
静岡高校時代、木製バットにもかかわらず通算36本塁打を記録し、3年夏は甲子園準優勝、法政大でも主力として活躍し、77年のドラフトで阪神から2位指名を受けた植松精一に、大学時代の江川について尋ねてみた。
「大学のリーグ戦は2勝すればいいから、第1戦に江川が先発し、第2戦は状況によってリリーフ、第3戦までもつれるとまた先発というパターンだったから、省エネ投法に徹していましたね。高校時代はバッタバッタと三振をとる剛腕だったけど、大学時代はかわすピッチングで老獪でしたよ。でも、ランナーが二塁にいくと力を入れて投げるんだよね。どうだろう、1試合で本気に投げた球って数球しかなかったと思うよ。そうしないと体がもたないというのもあったんだろうね。でも、江川のレベルは突出していました。僕もプロに入ってからいろいろなピッチャーを見ましたけど、『速いなぁ』と感じたことはあっても、『打てない』と思ったことはなかったです。それは江川を見てきたから」
法政大の4番を張っていた徳永利美にも話を聞かせてもらった。徳永は柳川商業の4番として、高校3年夏の甲子園1回戦で作新学院と対戦。チームメイトがバットを短く持ってミート打法に徹するなか、徳永だけは自由に打つことを許された逸話があるほどの強打の一塁手だ。
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