尾花高夫は斉藤和巳のピッチングを見て「コイツをエースにできなかったら指導者失格」と惚れ込んだ (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 3人目は誰でしょうか。

尾花 三瀬幸司(ダイエー、ソフトバンク、中日)です。2003年秋、本人は「所属していたNTT西日本中国野球クラブの休部を機に草野球でもやろう」と、思い出づくりのために入団テストを受けたそうなんです。彼のピッチングを見て「ストレートとスライダーだけ? シュートは投げられないの?」と「投げたことはない」と。「こう握って投げてごらん」と教えると、鋭く曲がったんです。

 そのボールを見て「王監督、合格ですよ」と伝えると、「え? 27歳だろう」と。「左投手でいいシュートを投げられますので、必ず戦力になります」と言って、合格になりました。当時は育成制度がなかったので、ドラフト7巡目指名となりました。最初はワンポイントリリーフの予定でしたが、抑えにしたらハマりました。1年目の2004年は55試合に登板して4勝28セーブで、最優秀救援投手のタイトル獲得し、新人王にも選ばれました。

── スライダーとシンカーのコンビネーションがよかったのですね。

尾花 左投手のスライダーは、左打者にレフト方向にうまく打たれることがありますので、シュート系の球がないと厳しいですね。当時ロッテのイ・スンヨプが三瀬をとても苦手にしていました。年間でも、左打者にヒットを許したのは西武の小関竜也だけじゃないですかね。

【左投手は再生できる】

── 次の投手は誰になりますか。

尾花 篠原貴行(ダイエー、ソフトバンク、横浜)です。彼には緩急が使えるようにカーブを覚えさせようとしましたが、スライダーとカーブの中間球"スラーブ"を習得しました。篠原で思い出すのは、99年のダイエー優勝の年、中継ぎで14連勝をマークし、松坂大輔(当時・西武)と最多勝争いを繰り広げていました。

 そんな折、ダイエーでも活躍した山本和範(当時・近鉄)の引退試合があり、本人が代打で登場したのです。はなむけに「好投手を」と思い、篠原を登板させたら3ボールにしてしまい、ダグアウトの私を見てきました。「相手は現役最後の打席なのだから勝負しなさい」と合図を送ったら、あろうことかど真ん中に置きにいって、決勝のホームランを打たれたのです。これで最多勝のタイトルも、勝率10割の快記録も水泡に帰しました。それでも最高勝率のタイトルを獲得したのは、とても印象深いです。

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