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トレンディエース西崎幸広は「あれ以来、セカンドバッグは持っていない」怒りの契約更新、当時の超絶人気ぶりを振り返った (2ページ目)

  • HISATO●取材・文 text by HISATO

【「あれ以来、セカンドバッグは持ってない」】

――そんな当時の人気ぶりとともに、今でもメディアに取り上げられるのが「怒りの記者会見」です。

西崎 契約更改の時でしょ。セカンドバッグを投げつけた。

――そのとおりです。1991年オフの契約更改交渉後の映像ですね。

西崎 やっぱりそうですね(笑)。あの時はいろいろあってセカンドバッグを叩きつけた形になりましたけど、そこまで怒っていたわけじゃないと思うんです。5年連続でふた桁勝利を挙げて、その最後の年になったこの年がダウン表示だったんで、「なんでダウンするんだ」という感情はもちろんありましたけどね。

――無理もないですね。今でも西崎さんというと、まず「トレンディエース」、その次に「セカンドバッグ」というワードが出てくるファンが多いと思います。

西崎 あれ以来、セカンドバッグは持っていませんよ(笑)。でも、何がきっかけでも名前が出してもらえるのはありがたいと、今になれば思います。

――当時のプロ野球には豪快な方も多かったと思うんですが、「あの選手、監督がすごかった」といったエピソードはありますか?

西崎 当時は他球団の方と一緒に食事をすることがなくて、チームメイトで行くことが多かったですから、あまりそういう話はないですが......夜にかなり酒を飲まれる方はいましたし、裏で口ゲンカをしている場面も目にしましたね。誰とは言えませんが(笑)。

――西崎さんのほかに、人気が高かった選手はいますか?

西崎 僕がプロ入りした次の年に、芝草宇宙、島田直也という「SSコンビ」が日本ハムに入ってきたんです。芝草が帝京高校、島田が常総学院の投手として活躍して、「甲子園のアイドル」と言われていました。甲子園を騒がせた2人が入ってきたので、かなり盛り上がった記憶があります。

 あと、僕がライオンズに移籍した年(1998年)は、ちょうど松坂大輔が入団したんですが、その時の"ダイスケフィーバー"も、ものすごかったですね。

――「実力では負けない」といった対抗心はありましたか?

西崎 「こいつらには負けたくないな」という気持ちはありましたね。

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