2005年阪神VS中日の伝説の天王山。岡田彰布は判定に激怒、サヨナラ負けのピンチで投手に「むちゃくちゃしたれ」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Sankei Visual

――先を読む力があり、勝負どころをわかっている、という感じでしょうか?

関本 そうですね。試合が開始して間もない段階で、だいぶ先のイニングのことを想定しながら、目の前で起きていることにも対応する。そのように、常に同時進行で考えていました。試合の中盤にはこうなって、終盤にはこうして勝ちきるというイメージができているんだと思います。試合中に「アレを用意しておけ」とよく言っていましたが、常に先を読んでいるからこその指示でしたね。

――第一次岡田政権時には、勝負にかける熱い気持ちも垣間見せていました。中日との優勝争いを繰り広げていた2005年9月7日のナゴヤドーム(現バンテリンドーム ナゴヤ)での中日戦、サヨナラ負けのピンチの場面で、岡田監督はそのシーズンで初めてマウンドに出向き、久保田智之投手(現阪神一軍投手コーチ)を叱咤激励しました。二塁手として出場していた関本さんもマウンドに集まっていましたが、当時の状況を振り返っていただけますか?

関本 あの試合は、優勝するために絶対に落とせない天王山でした。大事な場面で僕が絡むプレーも多かったですね。9回表の二死満塁で僕がライト前ヒットを打ち、そこで本塁を突いたセカンドランナーの中村豊さんが微妙なタイミングでアウトになったり、9回裏の谷繁元信さんのセカンドゴロを僕が捕ってホームに送球したら、そちらは微妙なタイミングでセーフになって3-3の同点になったり......。もつれにもつれた試合でした。

 阪神にとって不運な判定がふたつ続いたこともあって、岡田さんが激怒して審判に抗議し、選手を引き揚げさせてあわや没収試合という中断もありました。その後の9回裏のピンチで岡田さんがマウンドに来たんですけど、久保田に「俺が責任とるから、むちゃくちゃしたれ」と言ったんです。

――その言葉を受けて、久保田さんはどうなりましたか?

関本 キャッチャーの矢野燿大さんと久保田は、「もう開き直って、インサイドに攻めていこう」と、攻めの姿勢に転じる覚悟を決めたように見えました。久保田は代打で出てきた渡邉博幸さん、タイロン・ウッズを2者連続三振で打ち取ってピンチを乗りきり、延長11回表、9回裏に悔しい思いをした中村さんがホームランを打って4―3で勝つことができました。

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