阪急の練習生だった松永浩美が、キャンプで場外弾を17連発。上田利治監督は「また、いったぞ!」と驚いた (4ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

――松永さんが練習生だった時、キャンプ中の打撃練習で場外に打球を何本も飛ばしていた様子を上田監督が見ていたと聞きます。どんな反応でしたか?

松永 高知市営球場でのことでしたかね。その時はまだ右だけで打っていたんですが、レフトの場外に17本連続で打ったんですよ。上田さんはマイクを持ってそれを見ていたのですが、私の打球が場外に飛んでいくたびに「おい!また、いったぞ!」と驚いていたことを覚えています。その様子が新聞などで取り上げられて、「阪急に(上田監督の)孝行息子が現る」みたいに書かれました。

――その後、入団3年目でスイッチヒッターに転向しますが、そのきっかけは?

松永 当時、広島で打撃コーチをされていた山本一義さんの進言です。ある時期から左打ちの練習もするようになったんですが、山本さんがそれを評価してくれたようで、当時の阪急の二軍の打撃コーチだった住友平さんに「松永がスイッチやったら面白いんじゃない?」と勧めたんです。

――転向することに迷いはなかったんですか?

松永 当時、日本のスイッチヒッターといえば、左打席ならちょこんと当てて三遊間に転がして......というのが定番でしたが、住友さんからは「そういうスイッチヒッターはいらない」とハッパをかけられました。上田さんにも「左でも右でも大きいのが打てるスイッチヒッターを目指せ」と言われ、必死で取り組むようになったんです。

(後編:阪急の黄金時代を築いた上田利治。長時間抗議など負けん気は強いが、選手やコーチに対しては「忍耐」の監督だった>>)

◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」

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