43年前、人知れず「日本人2人目のメジャー」に近づいた元巨人軍投手 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 にわかに声のトーンが下がっていた。野球そのもの以上に、環境の違いには相当に苦労させられたようだ。それでも、翌80年はマサチューセッツ州ホールヨークに本拠地を置く2Aのホールヨーク・ミラーズに移籍すると、47試合に登板して6勝2敗16セーブ、69回を投げて防御率1.96。リリーフとして好成績を挙げている。

「ボストンの2Aなんて、まずヒット打てなかったよ。『あいつに投げられたら打てない』って新聞にコメントを出す選手もいて。調子よかったときは、チームメイトみんなが、『クニ、おまえは今すぐ行ってもメジャーリーグでやれる。来年はメジャーリーグで契約してくれるかもしれない』って言ってたし」

 再び、「挑戦する気持ち」という言葉が頭に浮上する。自信につながるだけの結果を残して、そこまで周りの評価が高まっても、あくまでマイナーリーグだったのか......。

「あのとき、2Aで僕と一緒に戦った選手がそのあと6人、7人と上がっていった。で、僕のことは、スカウトが5人いるうち4人は『メジャーリーグでやれる』って言ってくれた。1人だけ『やれない』って言ったけど、結果的にそれがいちばん当たってたね」

 聞いた途端、確かめたくなった。1年目の79年とは違って実績を残していたのだから、メジャーに挑戦できたのではないか。なぜ、可能性に懸けなかったのか。

「いや、それは難しかった。今は契約の仕方も違ってるけど、当時、マイナーリーグの契約をしてしまったら、もうその年はほぼ上がれなかったから。それでブリュワーズからは次の年、『メジャーリーグのキャンプは参加させる』って言われたけど、『契約はしない』って言われた。『契約しないんだったら、俺はもう残らない』って言ってね。日本に帰ることにしたの」

 率直に「惜しい、惜しかった」と言いたくなってしまう。あともう一息で、小川さんが[日本人大リーガー第2号]になる、その可能性は高かったのだ。「挑戦する気持ち」はなかったとしても、「マイナーリーグ契約なら残らない」という決断に、メジャーを求めた確かな意志が刻まれていると思うし、最終的には、憧れの舞台でプレーすることを強く望んだのだ。

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