西武からダイエーに来た根本陸夫は、ワクワクするスカウトの前で「ETC」の話を始めた (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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 根本とは15歳の年齢差がある鵜木だが、法政大後輩の経歴を生かしてその人脈を探り出し、何かと理由をつけて根本宅に花を贈るなどしていた。これも中内オーナーの意を汲んだ行動で、鵜木が球団社長を辞したあと、球団専務から社長に昇格した田辺寿が引き継いで根本を招聘。王貞治(元・巨人)監督誕生につなげたことは広く知られている。

 そこに、先輩・後輩の"ホットライン"があったことについては知られていないが、小川は気づいていた。そこは小川自身、一スカウトとして、西武の根本に対する意識が強かった表れだろう。とくに意識していなければ、「あ、これは鵜木さん、根本さんに相談しているんだな」とは思えない。そして92年9月、あるスポーツ紙が根本のダイエー入りをスクープした。

「『ああ、やっぱり』と思いました。もう西武王国ができあがってしまったんで、根本さんもちょっと球団のなかで一線を引かれて、横に置かれた立場にいることはわかってましたから。来るんじゃないかなあ......と思いながら仕事をしていたんです」

 92年は、西武として2度目の3年連続日本一が達成されることになる年。王国が築かれていくなかで、球団の戦力補強は縮小に向かっていた。『勝っている時こそ補強に力を入れないとチーム力はすぐに減退する』という根本の判断とは逆だった。西武グループの財力を誇示して選手を獲得した時期は過ぎ、集めた人材で勝てるという見通しが立てられていた。

 根本が監督と管理部長を兼務していた頃、西武のフロントにはプロ野球運営を熟知した人材が少なかった。ゆえに根本をはじめ玄人に頼ったわけだが、チームが勝ち続けて経験値も増えると、プロ野球運営の素人も力と自信をつける。次第に、根本あっての西武ではなくなりつつあるのを、本人も感じるようになる。他球団にも内情が漏れ伝わっていた。

根本陸夫は右脳の人

「それで根本さん、『本当に来る』となって、これはもう強くなるなあ、と。ダイエーもチーム強化に積極的な球団ではあったのでね。ただ、やり方がわからない。球団からは『やれ、やれ』という抽象的な表現しか出てこない。そこに具体的な話ができる根本さんが来られるので、非常に僕はワクワクしましたね。『西武をつくった方が来て、本当に強くなるんだ』と」

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