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ドラ1左腕・川口知哉はなぜプロで通用しなかったのか。1年目のフォーム変更が影響「完全にイップスでした」 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual,Tanigami Shiro

── トライアウトにも参加しましたが、「もう少しやれれば......」という思いはありましたか。

「ありましたけど、5年目を過ぎたあたりから周りの期待感が薄れていくのを感じていて、最後はこのへんまでかなと。ただ、プロでは結果は残せませんでしたが、最後の2年半、普通に投げられるようになって終われたのが自分のなかでは大きかった。崩れたまま終わっていたら、人に教えることなんかできなかったと思います」

指導者として感じたこと

── 引退後の話も聞かせてください。

「プロを辞めた時は『野球はもういい』という気持ちでした。そこから親父の仕事を5年ほど手伝って、その時に中学生のクラブチームで教える機会がありました。そのあと30歳を超えてから女子プロ野球に関わらせてもらって、監督、コーチなどで約11年やりました」

── 人に教えるなかで、心境の変化や新たな発見はありましたか。

「いろいろ見えてくることがありましたし、気づかされることも多々ありました。僕にははまらなかったことでも、いろんな人の教えが残っていて、俺って結構引き出し持ってるなと(笑)。そこで初めてプロでの7年間も無駄じゃなかったと思えましたし、そこから教えることがどんどん面白くなっていきましたね」

── どん底を味わった経験が、指導者となって大きな強みになったと。

「僕以上に失敗した経験を持っている人はそういないと思いますし、うまくいかない選手の気持ちを誰よりもわかりますから」

── この春からは母校のコーチとして高校生を指導していますが、心がけていることはありますか。

「とにかく選手をよく見る、観察することですね。ピッチャーにしても、フォームだけじゃなく、性格や練習に取り組む姿勢など......しっかり見て、何をどのように、いつ伝えるか。フォームに欠点があったとしても、『ここが悪い』と言うだけなら本人もわかっています。でも選手が知りたいのは、それを治すにはどうしたらいいのかという答えです。それができないなら、指導者は欠点だけを言うべきじゃない。そうしないと、どんどん投げられなくなって、よさも消えていきますから」

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