「石で鳥を落とす」コントロールの高橋善正はプロ初登板で13回を完封 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 というのも、高橋さんは巨人OBであるだけでなく、舌鋒鋭い野球評論家でもある。プロとして恥ずかしいプレーがあれば「草野球」と言い放つなど、球界に直言するご意見番として知られる。何しろ、中央大監督時代に刊行した著書の題名が『情熱野球で勝つ「言葉の鉄拳」』だ。実際、歯切れのよい文体に迫力があり、熱を帯びた言葉のひとつひとつが読むほどに胸に響いた。

 そんな高橋さんなら古巣に対して何の遠慮もなく意見し、チーム再建への提言をしてくれるのではないか。そう考えて高知までやってきたが、高橋善正という野球人がどんな投手人生を歩んできたのか、僕はほとんど知らずにいたのだった。

 高知市の中心街から路面電車に乗って5つ目の停留所で降りると、待ち合わせ場所に指定されたホテルは目の前にあった。約束の10時よりも30分前だったが高橋さんはフロントにいて、すぐに合ったその目は視線鋭くギロリと睨まれたようで、「鉄拳」の二文字を想起せずにいられない。

 それが挨拶を交わしたあとは柔和な表情に一変して、青いジャケットにアイボリーのチノパンを合わせた着こなしが若々しく見える。ホテルのレストランが休憩に入るということで、近くの喫茶店まで歩く途上で対話が始まった。母校・高知商高が10年以上も甲子園に出ていないということで、後輩たちの現状が話題になった。

 店に入って着席してからも母校の話が続いたが、事前に読んだ文献資料の中で、高校時代以前の出来事が僕の頭に引っかかっていた。中学3年のとき、遊撃手から投手になった高橋さんは、すぐに肘を痛めてしまったというのだ。

「3日で肘が痛くなった。でも、ピッチャーをやろうと思ってたわけじゃないから。夢見たのはショートで、巨人のショートになりたかった。ポジションまで決めてたっていうか、その頃の地方の野球少年は巨人しか知らねえもん。それで痛いから校医のところに行ったんだよ。『このままやってたら私生活にも影響が出るぞ』って言われて、監督に報告したんだけど、『そうか』で終わり。ククッ」

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