「銭闘」でプロ野球をザワつかせた4人の男たち。名・迷言で振り返る2000年以降の契約更改「事件簿」

  • 白鳥純一●文 text by Shiratori Junichi
  • photo by Sankei Visual

【「誠意は言葉ではなく、金額」福留孝介(中日)2006年】

 2006年に打率.351、31本塁打、104打点の成績を残した福留孝介は、首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞のほか、リーグMVPも獲得し、中日のリーグ優勝に大きく貢献した。

 文句なしの成績を収めて契約に臨んだが、球団の提示額は希望した、チーム日本人最高額(当時)の4億円には及ばず。「評価は(労いの)言葉じゃなくて金額。自費キャンプでも構わない」とする福留と、球団の話し合いは難航を極めた。

 最終的に、春季キャンプに突入した2007年2月下旬に、「ユニフォームを着て野球をしたい」という福留が折れる形で決着。年俸は3億8500万円だった。

 この交渉も影響してか、FA権を獲得した2007年オフには、4年総額53億円とされた大型契約で、メジャーリーグのシカゴ・カブスに移籍。1年目はファン投票でオールスターゲームに出場するなど活躍を見せたものの、その後は低迷。クリーブランド・インディアンス(現ガーディアンズ)など4シーズンを過ごしたあとの2012年オフに、1億2000万円で阪神と契約を結び、日本球界に復帰した。

 阪神のチームリーダーとして存在感を示した福留だったが、世代交代を推し進めるチームの意向もあって、2020年には戦力外通告を受けた。昨年からは古巣の中日のユニフォームを着てプレー。2021年シーズンは、代打の切り札とし勝負強い打撃を披露し、300万円増の3300万円で契約更改を終え、「感謝しています」とコメント。45歳で迎える来シーズンも活躍が期待されている。

【「交渉している気がしない」G.G.佐藤(西武)2007年】

 プロ4年目の2007年シーズンに、自身初の規定打席に到達。打率.280、25本塁打、69打点の成績を収めたG.G. 佐藤は、意気揚々と契約更改に臨んだものの、球団から提示された年俸3500万円(2200万円増)を保留した。

 佐藤は「交渉している気がしない。ブチキレていいですか」と怒りを露わ。希望の年俸4500万円との差を埋めるべく、5度にわたる交渉が行なわれた。その後、球団やリーグなど周囲の反対を押しきった佐藤は、「自身が納得できる」という理由で調停を選択。キャンプ中盤にまでずれ込んだ交渉の末、3700万円で決着した。

 その後、日本代表の一員として北京五輪に出場するなどした佐藤は、2010年に1億円プレーヤーの仲間入りを果たした。しかし翌2011年、チームの若返りを理由に戦力外通告を受ける。イタリアやクラブチームでのプレーを経て、翌年のオフ、西武時代の恩師でもある伊東勤監督が率いるロッテのテスト生としてキャンプに参加し、入団テストも受けてNPB復帰を果たした。

 2013年シーズンは、クライマックスシリーズで本塁打を放つなど存在感を発揮。2014年限りで現役を退き、その後は会社社長、YouTuber、俳優など多岐にわたる活躍を見せている。

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