巨人・亀井善行が語るプロでの一番の衝撃と忘れられない会心の一打。「ホームランを狙って打席に入った」 (2ページ目)
2009年の日本シリーズ第5戦、9回裏に放った同点ホームランこの記事に関連する写真を見る――亀井さんに対して、「勝負強い選手」というイメージを持っているファンが多いと思います。大事な場面で結果を残すために、メンタル面などトレーニングしていたことはありますか?
「『勝負強さ』という点に関しては僕もよくわからないです。たまたまチャンスの場面で打順が回ってきて、結果的にそこで打つことができた、という印象です。ただ、打撃に関して"掴んだ"と思えたことはありましたね。
2014年に指を骨折して一軍登録抹消になり、土台作りとして毎日2、3時間ランニングしていたんです。それによってさらにパワーがつき、反対方向(レフト方向)にもホームランが打てるようになりました。そのあたりから"1球で仕留める"意識も高まったことは事実です。当時は選手として苦しい時期でしたが、その年のケガはもうひとつ成長できた分岐点になりました」
――現役生活を通してケガに悩まされた印象がありますが、その点に関しては?
「ケガに関しては肉離れなどもしましたが、それは試合中の走塁でケガをすることが多かったですね。自分が持っている以上の出力が出てしまったというか、足の使い方や走り方などに問題があると僕は理解して、2017年だったかと思いますが、股関節の可動域を広げるトレーニングを始めました。
その結果、肉離れなどのケガが確実に減ったんです。股関節の可動域が広くなったことで走り方が改善でき、スピードが出るようになってタイムも上がりました」
――10月23日の引退セレモニーの中では、「心技体が揃わないと、このプロの世界では通用しない」という話をされていました。引退を決めたのは、そのどれかの衰えを感じたのでしょうか。
「正直、どれも衰えを感じたわけではありません。引退を決めたのは、左足内転筋のケガで麻痺症状が残り、『来年はいいパフォーマンスを発揮できないだろう』と考えたからです。
"心技体"を揃えるというのは、プロ生活を続ける中での自分のテーマで、それらがないとレギュラーで活躍することは難しいと思っていました。僕は入団当時、メンタル面が弱く、技術もなく、体の強さもなかった。それから17年間、年齢を重ねるごとにそれらを高めていきましたが、引退を決めた時も『足りない部分が多いな。心技体を揃えることができなかったな』と感じました。
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