ピューンと放りゃあ、三振! マッシー村上がメジャーで通用した理由 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 そのチームでマッシーさんは5ヵ月間、投げ続け、8チームで構成されていたカリフォルニア・リーグの新人王、リリーフ投手としてのベストナインに選ばれた。それにしても、日本での一軍登板も少ないままで渡米し、対バッターで臆するところはなかったのか。屈強そうなアメリカのバッターを見て、怖さを感じることもあったのではないか。

「なかったよ。まあ、ホームランもちょこちょこ打たれたけど、自分のピッチングに自信持ってたし。だから面白いのは、1Aのときにテレビでメジャーのゲームも見たけど、見たって誰が誰だか、わからないんだよ」

 戦う相手の情報がほとんどなく、先入観を持たなかったことが功を奏し、なおさら自信が持てたという。これはメジャー昇格後も変わらなかったのか。

「そうだよ。当時はスコアボードに名前も出ないしさ。ジャイアンツで言えば、センターフィールド、ウィリー・メイズというのが、〈CF 24〉って書いてあるだけだもん。フランク・ロビンソンも、ハンク・アーロンも、誰が誰だかよくわからない。おまけに場内アナウンスもよくわからない。どんなにいい声でね、きれいな発音されたって、わかるわけないんだから」

 そう言ってマッシーさんはアナウンスの声を真似してみせた。いい加減な英語でも抑揚はいかにもそれらしい。おそらくは当時、聞こえたままに発声しているのだろう、と思うと、とても貴重なものを聴いた気がした。

「だから、マイナーでのピッチングをそのまま出し切ったら、結構、いけたのよ」

 マッシーさんの昇格が決まったのは64年8月30日。単身、ニューヨークに乗り込むと、9月1日の対メッツ戦、8回裏にメジャー初登板が実現した。このときにはさすがに、相手がメジャーリーガーだ、という意識があり、プレッシャーもあったはず。

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