巨人「セカンド争い」の歴史。篠塚和典→仁志敏久に続き「不動」となるのは誰だ

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Jiji Photo

 プロ野球の再開初戦となった8月13日。中日を本拠地に迎えた巨人は、8回裏に代打・若林晃弘(2018−/巨人在籍年・以下同)のひと振りで同点に追いつくと、これが呼び水となって逆転勝利をおさめた。今季の若林は自身初の開幕一軍を掴むと、開幕戦では二塁スタメン。だが、レギュラー奪取とはならず、吉川尚輝(2017−)、北村拓己(2018−)らとポジション争いを繰り広げている。

 そのなかでレギュラーに近い位置にいるのが、昨季は二塁で87試合にスタメン出場した吉川だ。今季の開幕スタメンは逃したが、交流戦で13試合連続安打を放つなどして3番打者にも定着。6月10日のオリックス戦で死球を受けて骨折し戦列を離れていたが、復帰後もセカンドの一番手で起用されている。ただ、その座は安泰ではない。

華麗な守備でファンを沸かせた仁志敏久華麗な守備でファンを沸かせた仁志敏久この記事に関連する写真を見る 今年も相変わらず"競争"となっている巨人のセカンドだが、その昔、巨人のセカンドといえば"不動"のポジションだった。

 V9巨人を支えた土井正三(1965−1978)は、1965年の入団1年目からポジションを奪うと、プロ生活14年のうち12シーズンで不動の二塁手として活躍。36歳で臨んだ1978年には打率2割8分5厘・リーグ最多27犠打をマーク。初のダイヤモンドクラブ賞に輝いたものの、若返りを図る球団方針もあって引退した。

 その土井の後継者が篠塚和典(1976−1994)。1975年ドラフト1位で入団し、土井のつけていた背番号6を受け継いだ1979年から一軍に定着した。翌1980年のシーズン途中にレギュラーの座を奪いとると、巧みなバットコントロールで1984年、1987年に首位打者のタイトルを獲得。レギュラーになった1980年からの10シーズンで打率3割以上を7回記録し、セカンドで不動の地位を築いた。

 1990年に篠塚が腰痛で長期離脱した間、頭角を現したのが緒方耕一(1987−1998)だ。高卒入団4年目の緒方は119試合に出場して打率2割5分9厘の成績を残し、盗塁王にも輝いた。

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