野村克也が待ちわびた1541日ぶりの復帰。荒木大輔の「勝負運」が苦境のヤクルトをリーグ優勝に導いた

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

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【荒木大輔の勝負勘は誰にもマネできない】

――前回は甲子園の大スター・荒木大輔さんについて伺いましたが、今回もその続きをお伺いします。荒木さんの勝負度胸は抜群だったというお話でしたね。

八重樫 あれだけバッターに対して逃げない投手はいなかったですから、キャッチャーとしてはとても気持ちがいいピッチャーでしたよ。独特の勝負勘を持っているんです。だから大輔のおかげで、僕自身も攻めるべき時はとことん攻めていくという配球のあり方を教わった気がします。

1992年9月にケガから復帰した荒木(左)と握手する野村克也1992年9月にケガから復帰した荒木(左)と握手する野村克也この記事に関連する写真を見る――荒木さんからの「教え」は、他の投手にも効果を発揮したんですか?

八重樫 なかなかそうはならなかったですね。大輔の勝負勘は独特のもので、同じような気持ちの強さを持ったピッチャーはいなかったし、なかなかマネすることは難しかったんでしょう(苦笑)。そういえば、秦(真司)のことをフォローしたこともあったな。

――1987(昭和62)~89(平成元)年に監督だった関根潤三さんは、八重樫さんに代わる正捕手として秦さんを積極的に起用していましたね。

八重樫 関根さん時代に大輔と秦がオープン戦でバッテリーを組んだんですよ。その試合中、まったくサイン交換が合わないんです。大輔がずっと首を横に振りっ放し。秦は入団したばかりで大輔の特徴を知らないからしょうがないんだけど、大輔にとってみたら「攻めたいのに攻められない」「逃げるサインを出すな」という思いだったんです。

――荒木さんのような考えを持つピッチャーは少ないんでしょうね。

八重樫 毎回、すごく不機嫌な顔をしてベンチに戻ってきていて、交代後に大輔に「どうしたんだ?」と声をかけたんです。すると、「秦は逃げてばかりなんですよ!」と怒っていました(笑)。だから、「まだプロに入ったばかりなんだから、試合前にお前から秦に説明しなくちゃダメだぞ」って言ったんですよ。僕からも、事前に秦に説明しておけばよかったんですけどね。

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