守備力で選ぶ「歴代捕手ベスト10」。大矢明彦が「私など足元にも及ばない」と評価したNo.1は? (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual

4位 伊東勤(1982~2003年/元西武)

 いかにも森祇晶さんに育てられた捕手だよなぁと感じます。私も現役時代にコーチだった森さんと接しましたが、森さんの教えは「とにかく我慢して、ピッチャーを引き立てるようにしなさい」というもの。時には捕手が目立つことも是とする野村克也さんとは対照的で、その野村さんに育てられた古田敦也と森さんに育てられた伊東も好対照です。

 伊東は粘り強いリードができる捕手でした。「あきらめない」とも言い換えられるでしょう。捕手は時に、安易な選択に流されてしまう場面があるものです。たとえばランナーを背負い、カウント3ボール2ストライクの場面でファウルが続いたとしたら。捕手には同じ球種を続けるか、他の球種を選ぶかの選択肢があります。

 捕手はそういう場面で球種を変えたくなるものですが、伊東はギリギリまで見極める。「今のはバッターにとってもギリギリのファウルだった」と、同じボールを続けることもあります。つまり、勝負に対して最後まであきらめないんです。この粘り強さが、西武の黄金時代を築いた一因になったのは間違いないでしょう。

3位 森昌彦(祇晶/1955~1974年/元巨人)

 私が幼少期の頃はテレビでは巨人戦しかやっていなかったので、V9時代の正捕手だった森さんの試合はほとんどテレビで見ていました。逆に野村克也さんはパ・リーグだったこともあって、あまり印象がないんです。

 V9時代の巨人にはすばらしいピッチングスタッフがいたという大前提がありますが、それでも常勝チームならではのプレッシャーは常について回ったはず。決して日の当たる派手な役回りではありませんでしたが、ずっとマスクを被って巨人を支えた森さんの功績は大きいと感じます。

2位 古田敦也(1990~2007年/元ヤクルト)

 かつてはテレビ中継でセンターカメラはなく、バックネット裏から投手が正面に来るようなカメラアングルでした。でも、センターカメラになってから捕手が正面に来るようになり、その仕草がよく見えるようになった。それ以来、徐々に捕手にスポットが当たるようになったと感じます。

 古田が出現した頃から、捕手は「司令塔」と呼ばれ始めました。古田は相手の裏をかいて、「うまく打ち取ったねぇ」と大向こうをうならせる。捕手の手柄が目立ちやすいリードだったように感じます。

 とにかく、相手打者の嫌がるところをしつこく突けるのも特徴でした。私が横浜の監督時代、ヤクルト戦になると打者がこう漏らしていました。

「古田がキャッチャーをやっていると、何を狙っているかすべて見透かされているようでイヤだ」

 いい捕手ほど、相手チームの選手から嫌がられるものです。それまでの野球は投手が主役で、捕手は「女房役」という言葉があるように、どちらかと言えば引き立て役でした。そんな陰の存在から「捕手が投手を引っ張っていく」という存在へと変えたのは、古田が残した大きな功績ではないかと感じます。

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