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斎藤佑樹「野球をやめなきゃいけないのか」。引退が頭をよぎり、重要な選択を迫られた (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)

 たしかにブルペンでのピッチングを見ていると、力感なくスムーズなフォームからキレのあるボールを投げている。まだ130キロ台ではあるが、靱帯断裂の診断を受けてから半年でここまでのボールを投げられるのなら、回復は順調だと言っていい。

「違和感って言葉、不思議ですよね。結果的に何もなかったらそれは違和感じゃなくなるのに、ケガをしていたことがわかると、あとから『ああ、そういえば、違和感がありました』ってことになる。そうやって考えると、違和感は去年のキャンプが終わった頃にはありました。ヒジの張りが強かったし、その張りが抜けづらい感覚もありました。その時は歳のせいかな、と思っていたんですけど(苦笑)」

 思えば斎藤が「指にかかっているはずなのに思うようなボールがいかない」とこぼしていたことがあった。あれは昨年の夏のことだ。何度か検査をしても、異常は見つからなかったのだが、おそらくその時、すでに右ヒジの靱帯は切れかかっていたか断裂していたのだろう。靭帯の損傷、断裂はそれほど診断が難しいのだ。

 そして、決定的だったのは昨年の10月16日に斎藤を襲った"痛み"だった。

 ジャイアンツ球場で行なわれたイースタン・リーグの試合でリリーフの準備をしていた斎藤は、ブルペンで異変を感じる。

 右ヒジが痛い──。

 それまではヒジが張る、張りが抜けない、という感覚だった。しかしこの日は、ハッキリとした痛みを自覚させられたのだ。斎藤が振り返る。

「試合前のブルペンって、いつもは30球ぐらい投げれば暖まってきたなという感じになるのに、あの日はなかなかその感じにならなかった。結局、70球ぐらい投げたんです。それでもヒジが暖まらないままの感覚で試合に臨みました。チェンジアップに頼ればゴロを打たせられるし、それで何とかしなくちゃと思っていました」

 ヒジが痛むのに、マウンドでどうすればしのげるか、ということばかりを考えていたという斎藤は、それでも投げないほうがいいという感覚にはならなかった。あらためて、それはなぜなのかと訊くと「なぜなんでしょうね、何とかなると思ったんでしょう」と笑う。

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