青森の畳職人が都市対抗で一世一代の投球。変わり種サウスポーがプロの扉をこじ開けた (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual

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 JTの応援スタンドには、最後の都市対抗を見届けようと連日大勢の観客が押し寄せた。JTのワンプレー、ワンプレーのたびに起きる喝采が東京ドームを揺らし、異様な熱気に包まれた。中村は「人が多くて『すげぇ』と思いましたけど、ほどよく緊張感を持ってマウンドに立てました」と振り返る。

 中村は初回に二死から3つの四球を与えたものの、無失点に抑える。その後は「失うものはないので当たって砕けろ」と、開き直って東芝打線を封じていく。

「相手からすると、わけわかんない青森の田舎のピッチャーに抑えられて、『え?』という感じでしょうね。名門のプライドもあるでしょうし、それで攻撃がちぐはぐになったんじゃないですか」

 スカウト陣の集まるバックネット裏もざわついた。まったく無名の左腕が、スピードガンの数字以上に速く見える好球質のストレートを武器に優勝候補を抑え込んだのだ。しかも、所属は「三菱製紙八戸クラブ」という無名のクラブチーム。中村が畳屋で働いていることを知っていたのは、日本ハムのスカウトくらいだろう。

 序盤から飛ばしたため終盤には球威が落ちたが、中村は最終回まで投げ切る。2対0、5安打シャットアウトでJTをベスト4進出へと導いた。

 この東芝戦の快投が中村の人生を変えた。その後は日本ハム以外のスカウトからも注目されるようになり、ドラフト前には複数球団からの調査書が届いた。中村は「だんだんと目標に近づいているな」と実感した。

 とはいえ、ドラフト会議当日は「期待より不安100パーセント」と揺れる心境で迎えた。八戸市の三菱製紙社内の一室に監督や部長と詰め、ドラフト会議のテレビ中継を見守った。日本ハムの4巡目指名で「ナカムラ」の名前が呼ばれると腰を浮かしかけたが、よく聞くと「マイケル中村(MICHEAL)」。思わぬ"中村違い"に、関係者は「なんだよ、マイケルって!」と苛立ちを隠せなかった。

 それでも、日本ハムの7巡目に中村渉の名前が無事に呼ばれた。中村は大学卒業後の3年間の孤独なトレーニングを思い出し、「コツコツやってきたことが報われて、本当によかった」と喜びを噛みしめた。一度は「家業を継ぎたい」と申し入れていた父には合わす顔がなかったが、父も「おまえがやりたいようにやれ」と後押ししてくれた。

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