エースのジョーvsカネやん。惨敗した金田は洋服を仕立ててくれた (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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「独自も何も、高校のときは自己流でね。それがノンプロ行って、北川先輩のフォームをいくらかイメージしながら作っていった。あれもまた、ゆっくりぃ速くだから、縄跳びが生きたんじゃないかなあ」

 まさに、ゆっくりと腰を回しつつ、素早く切り返してガッと投げるイメージ。腕の振りだけでなく、フォーム全体を思い浮かべたら、二重跳びの腕の回し方と結びつくように感じた。ある資料では、城之内さんのフォームが〈トルネード投法の先祖〉と称されていて、それについて尋ねようと思ったところが、話は切れ間なく続けられた。

「ちゃんとしたフォームになったのは3年目の夏ぐらいかな。その頃には二番手ピッチャーになれて、4年目の春まではよかったよぉ〜。滅多に点取られなかったもの。あるときは2試合でヒット1本っていうのをやったこともある。ははっ。だから3年目は防御率1.10ぐらいで、4年目は0.50ぐらいだもん。それぐらいよかったの、当時は」

 社会人時代の数字がこれほど詳しく語られるケースも過去にない。中学時代の補欠、縄跳びも含めて、ことごとく耳に新しい。

「3年目にスカウトが来るようになったけど、俺、プロでやるっていう考えもなかったの。プロって、うんとレベルが上だと思ってたし、誘ってくれた先輩に迷惑かけちゃいけないと思って一生懸命やってただけ。

 練習も、走るのも、強制じゃなく好きでやってたからどんどんできて、自分で加減もできた。高校で1年間、ノンプロで4年間、合わせて5年間、そういう練習ばっかり。だから、プロ入って体力は負けなかったんだよ」

 不意に、「新人開幕投手」の真相が見えた気がした。ピッチングコーチの方針、ライバルとの競争はいわば"氷山の一角"で、アマチュア時代5年間の練習の成果によって、体力抜群の城之内さんがなるべくして開幕投手になったのだと思えたとき、ひとつの質問が浮かんだ。巨人に入団しての目標は何だったのか。

「だからほら、1年目でライバルに勝っちゃったから。それで目標は達成されたから、あとはそのまま行っちゃったの」

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