由規は10年前に命を奪われた「元女房役」、その家族のためにも投げ続ける (2ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文 text by Shiratori Junichi

――地元に帰ることができたのはいつ頃ですか?

「幸い、家族とはすぐに連絡が取れたんですけど、なかなか仙台に帰ることができず、初めて帰ったのは交流戦が行なわれた6月頃でした。同年の夏には被害が酷かった海沿いのエリアにも足を運んでみたのですが、まったく何もない状態で......。津波の恐ろしさを思い知らされ、愕然としたことを今でも覚えています」

――そのシーズンは7勝をマーク。オールスターゲームにも、ファン投票1位で選出され、仙台で行なわれた第3戦では先発しました。

「オールスターに選ばれることはなかなかないですし、ましてやファン投票で選んでもらえたのは本当に嬉しかった。地元の仙台で、これ以上ない状況で出場させていただけました。その前にケガをして実戦から離れていたこともあり、緊張感がありましたね」

――由規投手にとって、2011年はどのようなシーズンでしたか?

「震災もありましたが、この年のヤクルトは9月頃まで2位の中日に大差をつけて首位を走っていたのに、優勝を逃しているんです。僕が再びケガで離脱したのも9月だったので、『大事な時に......』と責任を感じました。調子はよかっただけに、すごく悔やまれるというシーズンでした」

――その2011年から10年。復興した街並みを見て、感じることはありますか?

「それは難しくて、『よくなった』と言うのも違う。新しい施設ができたりもしていますが、昔あったものが元に戻るわけではないので。なかなか言葉にできない感情ですが、『何年経っても風化させてはいけない』ということは、毎年この日が来るたびに思っています」

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