由規は10年前に命を奪われた「元女房役」、その家族のためにも投げ続ける

  • 白鳥純一●取材・文 text by Shiratori Junichi

『特集:東日本大震災から10年。アスリートたちの3.11』
第4回:由規(後編) 前編から読む>>

 東日本大震災から10年。宮城県仙台市出身の佐藤由規は、ルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズで新たなシーズンを迎える。

 仙台育英高校のエースとしてチームを甲子園に導き、唐川侑己(千葉ロッテ)、中田翔(北海道日本ハム)らと共に「高校ビッグ3」と言われ、2007年にドラフト1位で東京ヤクルトに入団。プロ入り3年目の2010年に12勝を挙げ、「これから」という翌年に震災を経験した。埼玉で再起をはかる由規が、当時の状況や、胸に抱き続けてきた思いを振り返った。

リモートでインタビューに答えた由規(写真提供:埼玉武蔵ヒートベアーズ)リモートでインタビューに答えた由規(写真提供:埼玉武蔵ヒートベアーズ)――東日本大震災が起こる前年の2010年、由規投手は12勝9敗をマークするなど飛躍のシーズンを過ごされていました。

「シーズン中はあまりよくなっている感じはなかったのですが、結果を残せたことで自信もつきましたし、『(プロ野球で)生きていくには、こうすればいいんだ』という感覚が掴めてきた年でもありました。この時の感覚や培った技術は、今でも大事にしています」

――同年には、当時の日本人最速記録となる161キロも記録されましたね。

「当時は『まだまだ球速は伸びる』という自信や、試合で投げれば投げるほどよくなっていく感覚がありましたね。もう一段階レベルを上げるため、この年のシーズンオフからは、カットボールやツーシームといった新たな球種に挑戦することになりました。キャンプに関しては、開幕に向けていい滑り出しが切れたと思います」

――2011年は無事に春季キャンプを終えてオープン戦を迎えるも、3月11日に東日本大震災が起こります。その日は、横浜スタジアムでの試合があったようですね。

「この日、投げる予定がなかった僕は、スタジアムのベンチ裏で待機していました。地震を知った時は、もうパニックでしたよ。現地の映像は球場のモニターで見たんですが、『震源地は三陸沖だ!』というチームメートの言葉に胸が詰まりました。画面越しに、馴染みがある場所のこれまでとは違う光景を目にした時には、ただ信じられなくて言葉が出ませんでした。家族とも連絡が取れなかったですし、『野球をしている場合じゃない』という気持ちにもなりました」

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