渡辺久信は「表も裏も知っている」根本陸夫からあえて距離を置いていた

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第24回
証言者・渡辺久信(1)

「私が今の仕事に携わった時、いちばん初めに頭に浮かんだのが根本さんでしたね」

 開口一番、西武ゼネラルマネジャー(GM)の渡辺久信は言った。「今の仕事」とは主にチーム編成であり、その発端は2013年10月。監督退任後の渡辺がフロントに入り、シニアディレクター(SD)に就任した時のことだ。西武初代監督で実質GMでもあった根本陸夫が、渡辺にとって高い目標になったという。

「当然、西武もそうなんですけど、他球団でも、チームを強くするために尽力された方ですから。とくに、礎を築くことに関しては、根本さんの右に出る人はいないんじゃないかと思います。だから私自身、球団の方から『チームをどんどん強化していってほしい』と言われた時、目指したいというよりも、目指すべき人だと直感したんです」

1983年のドラフトで西武から1位指名を受けて入団した渡辺久信1983年のドラフトで西武から1位指名を受けて入団した渡辺久信 根本に薫陶を受け、信奉する野球人が数多いるなかで、根本を目標に掲げる野球人は滅多にいない。まして、GMとして目指すとなると唯一無二なのだが、じつは渡辺自身、ひとつ間違えば根本に出会わない野球人生になっていた。西武入団を巡って、当時の現場とフロントの考えが複雑に絡み合っていただけに、はじめにその経緯を明らかにしておきたい。

「根本陸夫の右腕」と呼ばれ、西武のスカウト部長を務めた浦田直治によれば、1983年のドラフトで「1位は前橋工高の渡辺久信でいく」と決めていた。これは直前のスカウト会議で浦田が発表し、管理部長の根本も承認済みだった。

 渡辺は最後の夏こそ群馬大会の決勝で敗れたが、1年時に甲子園のマウンドを経験。速球派の大型右腕ゆえ、浦田は「すぐに一軍で投げられる」と高評価していた。だが、会議の席で監督の広岡達朗から「高校生じゃなくて即戦力のピッチャーを」と要望が出た。「監督の言うことを聞いてやれ」と根本が方針を転換した。

 11月22日、ドラフト会議当日──。西武は2位指名予定だった東海大の高野光を1位で指名した。高野は首都大学記録の21連勝を記録し、通算23勝1敗、防御率0.92という実績を持つ右腕。それだけに、1位指名で4球団が競合した。

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