野村克也の息子・カツノリの第一印象。八重樫幸雄「致命的な欠点が...」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【サッチーからお中元、お歳暮が】

――確かにルーキーイヤーの1996年は、一軍出場はありませんでした。2年目の1997年から主に途中出場という形で一軍に出場し始めます。

八重樫 キャッチャーにとって、股関節の柔軟性はとても重要なんです。でも、カツノリは構えた時にかかとが上がるから、構えた態勢でちょっと頭を押すと、すぐにぐらつく。股関節、膝関節、足首の関節、どれも固いから、きちんと構えられない。それが徐々に克服されてきたのが2年目以降、ということだったんだと思います。

――以前、古田敦也さんにインタビューした時に「僕はものすごく柔軟性があるんです」と言っていました。八重樫さんから見て、どうでしたか?

八重樫 古田は本当に柔らかかったですよ。股関節が柔らかいから、ペターッと地面につくぐらい低い位置で構えることができたし、ほとんどぐらつかない安定感がありました。古田の場合は柔らかすぎるんですけどね(笑)。

――入団時に抱いた「プロのレベルではないな」という、カツノリさんへの印象は、少しずつ「プロらしくなってきたぞ」と変化していったのですか?

八重樫 だんだん、プロらしくなっていきましたよ。守りもバッティングも。確か、この頃に一度、カツノリが太ももを火傷したことがあったんです。

――太ももを火傷? どういうことですか?

八重樫 体を柔軟にするためなのか、痛みやコリをとるためなのかわからないけど、太ももに「もぐさ」をやって火傷したらしいんだよね。せっかく一軍に行ったのに、二軍に落ちてきたから、「どうした?」と聞いたら、もぐさが原因だった(笑)。サッチー(野村沙知代)に言われて試したんだと。そうそう、カツノリが二軍にいた時、一軍の松井優典マネージャーから「カツノリを早く一軍に上げろ」って、しつこく言われたことがあったんだよね。

――それは野村さんの要望なんですか?

八重樫 いや、たぶんサッチーだと思うよ(笑)。松井さんと沙知代さんは、距離が近かったから。サッチーはとにかくカツノリをかわいがっていたからね。僕のところに、サッチーからお中元、お歳暮が届いたこともありました。千疋屋のゼリーの詰め合わせ。あれは「夫と息子をよろしく」という意味じゃなく、間違いなく「カツノリをよろしく」という思いからだったと思いますよ。

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