ヤクルト入り宮台康平の逆襲なるか。東大史上最高の投手に足りなかったこと (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin
  • photo by Sankei Visual

 日米大学野球選手権では第3戦に先発し、2回2/3を1失点。ストレートは自己最速となる150キロをマークし、5三振を奪う快投を見せた。この時点で「赤門エース」のドラフト1位指名は、いよいよ現実味を帯びていった。

 大学に入って球速が飛躍的に伸びた理由を、宮台はこう分析している。

「ウエイトを上げることが成長する一番の近道だと思いました。練習時間は限られているし、一気にやれるものじゃないけど、体重は頑張ろうと思えばいくらでも努力できる。技術は本当に練習が必要ですし、積み重ねていかないといけない。まず、うまい人たちに追いつくとしたら体格だと思うんです」

 大学1年の間は体づくりに専念し、2年春に145キロ、3年夏に150キロと驚異的な進化を遂げたのである。しかし、日米大学野球選手権のあと、宮台は左肩を負傷してしまう。

 湘南高校時代の恩師である川村靖監督は、大学3年時の宮台のフォームについてこう語る。

「高校時代に比べてフィニッシュが大きくなったのが気になっていました。速い球を投げたあとのブレーキ、力の逃し方は絶対に大切なんです」

 大学3年の冬、フォーム矯正中の宮台にも左肩を痛めた原因について聞いたことがある。

「腕を思いきり振った反動で体が止まらないと、肩の負担が大きくなると言われました。止まれないのは体幹が弱いため。打者と対戦すると、やっぱり速い球を投げたくなってしまい、体がつんのめってしまうのが課題です」

 自己分析はできていたが、闘争本能がそれを許さなかった。肩を痛めて以降、宮台は一度も150キロを計測しておらず。プロ入り後の球速は140キロ前後。おまけにコントロールでも苦しんでしまった。

 東大卒のプロ野球選手として、一度はドラフト1位級の評価を与えられるなど、過去最高の素材であった宮台だったが、プロの高い壁にぶち当たった。

 それにしても、なぜ東大卒の選手はプロの世界で苦しむのだろうか。学生時代からどっぷり野球に浸っていた選手とはすべてにおいてレベルが違うのは否めないが、宮台においては技術的な部分よりも、体力的な部分で劣っていたと言わざるをえない。

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