投手なのに敬遠、3連続本塁打の選手など。打撃もヤバかった投手たち (2ページ目)

  • 白鳥純一●文 text by Shiratori Junichi
  • photo by Sankei Visual

 1967年10月の広島戦でノーヒットノーランを達成した試合では、投手として初の3打席連続本塁打も記録した。さらに南海との1973年の日本シリーズでは、第2戦の延長11回に決勝タイムリー。先発としてマウンドに上がった第3戦でも2打席連続本塁打を放ち、自身の完投勝利に貢献している。その10年後、1983年に行なわれた引退試合では、現役最終打席を本塁打で締めくくった。

 近年では、桑田真澄の活躍が記憶に新しい。P L学園時代には5大会連続で甲子園に出場して6本塁打。これは、高校時代のチームメートで、プロ通算525本塁打を放った清原和博の13本塁打に次ぐ歴代2位の記録だ。

 プロ通算173勝を挙げた大投手だが、打者としても192安打、7本塁打、79打点を積み上げた。プロ初完封勝利を挙げた1987年7月の広島戦では、スリーランとタイムリーで4打点。キャリア晩年の2002年6月に行なわれた横浜戦では、延長11回に代打として登場し、バスターから三遊間への安打を放ってチームを勝利に導いた。同年に最優秀防御率のタイトルを獲得した一方で、バットでも51打数15安打の打率.294と野手に遜色ない成績を残し、原辰徳監督の初の日本一に貢献している。

 2000年代に中日のエースとして活躍した川上憲伸は、桑田を上回る通算8本塁打を放っている。中日がセ・リーグ優勝を果たした2004年シーズンは2本塁打を記録。同年5月に完封勝利を収めた横浜戦では、自身が放った2ラン本塁打が決勝点になった。

 2008年には海外FA権を行使し、アトランタ・ブレーブスに移籍。メジャーリーグでも代打で起用される場面があったように、国境を越えて打撃力が高く評価されていた。

 外国人投手では、2003年に阪神の18年ぶりとなるリーグ優勝に貢献したトレイ・ムーアを覚えているファンも多いだろう。投手として2年連続で10勝を挙げた一方で、来日1年目の2002年の打率は.274(62打数17安打)。翌年には打率.326(43打数14安打)とさらに向上した。2003年のオールスターファン投票では、ムーアの打撃力を期待してなのか、1塁手部門の3位に選ばれる珍事も起きた。

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