奥川との星稜バッテリーは実現するか。
ヤクルト3位・内山壮真が語った本音

  • 沢井史●文 text by Sawai Fumi
  • photo by Sankei Visual

「目標の選手は古田(敦也)さんです。打てる捕手を目指していきたいです」

 12月1日に行なわれた東京ヤクルトスワローズの新入団選手発表で、3位で指名を受けた内山壮真は凛とした表情でそう語った。

ヤクルトに3位指名で入団した内山壮真ヤクルトに3位指名で入団した内山壮真 名門・星稜高校(石川)で1年春からレギュラーをつかんだ。準優勝した昨年夏の甲子園では準々決勝の仙台育英(宮城)戦で2本のホームランを放ち、4番打者として存在感を示した。

 高校通算34本塁打の長打力と、遊撃手、捕手をこなしてきたポテンシャルの高さを評価され、晴れてプロの門を叩くことになったが、じつはこの入団記者会見から約2週間前に行なったインタビューではこんな胸の内を明かしていた。

「プロではどちらかと言うと、まず遊撃手として勝負してみたいんです」

 U15日本代表だった星稜中3年時は捕手だったが、中学1、2時は遊撃手だった。高校に進学しても1、2年時はショート。3年生が抜け、新チームとなり正捕手となった。

「中学時代は捕手としての技術についてはこだわらず、それよりもキャプテンとして精いっぱいでした。でも、高校ではプロを目指す以上は技術もこだわらないといけない」

 そう意を決して2年秋から正捕手となり、北信越大会で優勝を果たしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で春夏の甲子園大会をはじめ、あらゆる公式戦が中止となった。

「新チームとなってから捕手として経験を積めなかったので、正直、不安はあります。捕手をやりたい気持ちはありますが、内野も楽しいので。今はどちらかといえば、内野で......という感じです」

 172センチ、76キロと決して体格的に恵まれているわけではないが、父・彰博さんは空手の全国選手権大会で優勝した経験があり、その父の道場に2歳から通っていた内山は幼い頃から体幹を鍛え、強靭な肉体を身につけた。

 小学3年から野球を始めたが、空手も5年まで続け、県大会で4度の優勝、全国大会でも16強まで勝ち進んだ経歴を持つ。それからは野球一本に絞り、中学は軟式野球の名門・星稜中に進学。野球を極める覚悟を固めた。

「高校を出たら、すぐにプロ野球選手になりたかったんです。親にもそう伝えて進学を決めたので、プロ以外の進路は考えられませんでした」

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