周東佑京「バッティングを捨てたくない」。世界記録達成まで苦しんでいたこと (2ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • photo by Kyodo News

 福本氏が「世界の盗塁王」と呼ばれる所以は、1972年に記録したシーズン106盗塁を筆頭に、13年連続盗塁王、通算1065盗塁など、数々の金字塔を打ち立てたからであり、周東が追い抜いたのはそのなかのひとつにすぎない。だとしても、あの福本氏が持つ盗塁記録をどんな内容であれ塗り替えたのだ。それはまさに大偉業である。

それに加えて、10月の月間盗塁数23もとんでもなくすごい数字である。10月末時点でのセ・リーグの盗塁数ランキングを見ると、1位の近本光司(阪神)の28盗塁はともかく、2位の増田大輝(巨人)の22盗塁をわずか1カ月で上回ったのだ。

そんな周東だが、今シーズン序盤はじつはそれほど走っていなかった。7月終了時点で28試合に出場して、わずか2盗塁。ある種の「2年目のジンクス」に苦しんでいた。

 もともと育成選手として入団し、昨季支配下入りすると代走を中心に25盗塁を記録。巨人との日本シリーズでもチームを勝利に呼び込む盗塁を決め、一躍注目を浴びた。その一芸を認められて侍ジャパン入りすると「プレミア12」でも活躍して、一気にスターの階段を駆け上がった。

 周囲からの見る目は完全に変わり、当然、相手チームからのマークは厳しくなった。だが周東は、自身の問題だったと語る。

「マークが厳しくなったというより、自分のなかで考えすぎてしまいました」

 盗塁の最大の敵は、ピッチャーの牽制やキャッチャーの送球よりも自身の迷いだ。余計なことを考えてしまえば、成功率は下がる。そんな周東の背中を押したのが、二人三脚で寄り添った指導を続ける本多雄一一軍内野守備・走塁コーチであり、工藤公康監督だった。

 工藤監督は「牽制でアウトになるのも、スチールしてアウトになるのも一緒だよ。だから思い切っていけよ」と声をかけ続けた。

 本多コーチも「力まないように、焦らないように、急がないように。普通に走れば、おまえの足ならばセーフになるから」と励ました。現役時代に2度の盗塁王を獲得した本多コーチは、自分の知識や考えを惜しみなく周東に注ぎ込み、試合前練習でも外野の隅っこでスタートの練習など、マンツーマンでレッスンする姿を何度も見た。

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