2020.08.12

「暴れん坊球団」で高卒いきなり
レギュラーを張った毒島章一という男

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki


 今では、そんな処遇はありえない。小久保のように故障したところで治して挑むし、球団も監督も記録達成を後押しする。どんな大ケガでも「残り1本だから達成したも同然」などと言える人は存在しない。が、毒島さんが現役を生きた時代は違った......。果たして、通算1977安打の真相はどうだったのか。そして、それだけの数字はいかにして積み上げられたのか。

 小久保が登録抹消となってから6日後、JRと西武線が乗り入れる国分寺駅の改札で毒島さんと待ち合わせた。七三に分けられた髪に縁の細い眼鏡をかけた風貌、シックなグレーの縞のシャツにジャケットを左腕で抱え持つ毒島さんの容姿は、紳士そのものだった。白いものが交じり毛筆のように太い眉のほかに、76歳という高齢が感じられる要素もない。

 駅ビルの喫茶店に入り、あらためて挨拶を交わそうとすると、毒島さんは「ごめんなさいっ。名刺ないもんで」と声を張った。野球人の取材で名刺交換は滅多にないので、力を入れて謝る姿に驚く。引退後は太平洋、クラウン、西武でスカウトを務め、名刺が不可欠な世界に長くいたからだろうか。想像していた以上に低姿勢、柔らかい物腰だった。

取材当時の毒島さん。「面白そう」だからプロ入りしたと言う取材当時の毒島さん。「面白そう」だからプロ入りしたと言う

 僕は談志師匠の取材記事を差し出しつつ、東映に興味を持った経緯を伝えた。「駒沢の暴れん坊」と言われた時代、チームの雰囲気はどうだったのか。

「暴れん坊といっても、そうでもなかったんですよ。山本八郎だって普段は涙もろい、好青年です。ただ、やんちゃなのはやんちゃでしたけどね。昔はみんなそうですから、どっちかと言えば。ふふっ。そんな、『紳士たれ』なんて言ってらんないですから」