「球界革命児」根本陸夫の素顔。西武マネージャー「このオッサン、何者?」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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 もともと資産家の跡取りとして生まれたこともあり、根本は悪党にはならなかった。ただ、根本と同年代で、互いに意識する存在に安藤組の安藤昇がいた。「インテリヤクザ」と言われ、一時は芸能の世界でも名を上げた安藤のことを、根本は球界の人間にもよく話した。なかでもケンカの仕方を好んで伝えたそうで、島田も常に興味津々で聞いていた。

「会わせてほしかったですよ、安藤さんに。オヤジに頼んだら『わかった』って言ってくれたけど、結局、そのままになっちゃった。でも、そういう話を聞いていたらね、オヤジもそうなんだ、と思っちゃいます。変な話、プロ野球も興行じゃないですか。だからオレ、やっぱり興行にはその世界の人たちがからむものなんだなって、当時は真剣に思っていましたよ」

 ほかの信奉者たちと同じように、島田も根本のことを「オヤジ」と呼んでいた。もっとも、島田の場合、監督対選手の関係が原点にある野球人とは違って、初めからチームスタッフという立場。「根本さんは球界の先輩」という意識は希薄だから、ときに言葉がエスカレートした。

「たまに、何か気に入らないことをオヤジに言われて頭にきたら、『おっさーん!』って怒鳴ってました。選手とは違って、オレはそういうことを言ってもいいというか、言えました。たしかに、コーチの人は言えなかったと思う。まあ、オレも言ったあとで『やばいな』と、何回も思ったけどね(笑)」

 度胸十分の島田は、当時30代前半。都立高の軟式野球部が"最終球歴"ではあったが、それでも「野球の経験がある」ということで、西武ライオンズ誕生と同時に関わった。クラウンライター=福岡野球から来た経験者はごくわずかで、国土計画のほか西武グループの鉄道、建設、不動産各社から寄せ集めた人間がフロントに入っていた。

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