【追悼】「代打・長嶋茂雄」の超サプライズ 西本聖の引退試合で起きたドラマ (4ページ目)
やがて時を経て西本が巨人から中日、オリックスへ移って現役にしがみついていた頃、長嶋が監督としてふたたび巨人へ戻ってきた。西本は、ここでユニフォームを脱ぐわけにはいかないという思いに駆られた。巨人を出された自分が、もう一度、巨人のユニフォームを着られるはずがないと思いながらも、もしかしたらという微かな希望を抱いて1993年オフ、西本はオリックスを退団。巨人の入団テストを受ける覚悟を決めた。
背番号のないユニフォームで、テスト生として宮崎キャンプに参加したのである。かつてのエースがプライドをかなぐり捨ててと言われたが、むしろ揺るぎないプライドがなければできることではなかった。そして西本はテストに合格、巨人復帰を果たしたのである。
ところが、西本の一軍での登板機会はないまま、チームは激しい優勝争いを演じることとなった。最終戦に優勝が懸かってしまえば、公式戦を引退試合に充てる余裕などあろうはずがない。長嶋監督は、西本に一軍での登板機会を与えられなかったことを悔やんでいたのだという。
そのオフ、西本は引退した。
長嶋と同じユニフォームを着て、かつての長嶋がつけていた90番を背負い、チャンスがなくとも黙々と練習を続けてきた一年に、一切の悔いはない......引退会見での西本の顔は晴れ晴れとしていた。
しかし、巨人は引退試合を用意するつもりはなかった。西本はトレードで中日、オリックスを渡り歩いており、生え抜きの選手ではなかったからだ。そこで、有志が立ち上がった。
4 / 6