ロス五輪決勝、吉田幸夫は思った
「アメリカに勝ったら狙撃されちゃう...」

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

野球日本代表 オリンピックの記憶~1984年ロサンゼルス大会
証言者・吉田幸夫(2)

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 1984年、ロサンゼルス五輪。もともと出場権のなかった野球日本代表だが、東西冷戦の影響からキューバがボイコットしたため、追加招集の声がかかり、急遽、参加することになった。予選リーグ初戦の韓国戦に先発した吉田幸夫の好投もあって勝利した日本は、その後、ニカラグアにも勝利。続くカナダには敗れたものの、2勝1敗で予選を突破。そして勝てば銀メダル以上が確実となる準決勝のチャイニーズ・タイペイ戦。またしても先発のマウンドに上がったのは吉田だった。

決勝でアメリカを下し、胴上げされる日本代表・松永玲一監督決勝でアメリカを下し、胴上げされる日本代表・松永玲一監督 もちろん、あの試合もうれしかったですよ。よし、やってやるって感じでした。私たちはオリンピックの予選で負けて、もともとは本大会には出られないチームでしたから、そんなに期待もされていませんでしたし、誰も金メダルなんてことは考えていなかったと思います。

 それが初戦で韓国に勝って、金とは言わないけど違う色のメダルは持って帰りたいね、なんて話が出るようになったのを覚えています。期待されていなかったからこそ、逆に怖いものなしで戦えたのかもしれません。準決勝に勝てば金か銀のメダルは獲れるわけですから、そりゃ、私としてもやりがいがありますし、張り切りますよ。

 相手の先発は"オリエント・エクスプレス"の異名を取った郭泰源(のちに西武)でした。郭泰源は、とにかく球が速いという印象です。じつは開会式直後のナイターが、チャイニーズ・タイペイとアメリカの試合だったんです。その試合を私たちは外野席で観ていたんですけど、郭泰源、腕の振りが見えるのにボールが見えないんですよ。

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