大矢明彦が明かす内野陣コンバートの真相「石井琢朗を売り出したかった」 (2ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Jiji Photo

 石井は元投手である。ショートに必要な肩の強さは折り紙付きであるが、選手たちはどのように受け止めていたのであろうか。

「僕は先に進藤に話をしました。『進藤、俺はこういうふうにやりたいんだけど、お前、守備位置動いてくれるか?』と。進藤は抜群のショートストップでしたからね。彼がやると言ってくれなければできないコンバートだなと。でも、キーになる進藤が『やってみます』と言ってくれたので可能になったんです。元々が、どこのポジションでもできる選手でしたから。

 ただ、あのときは最初、石井をショートにして、ローズをサードにして、進藤をセカンドにしたんですが、ローズが音を上げたんです。ある程度気分屋なところがありましたので、とにかく気持ちよくやってくれないと困るということでセカンドに戻した。だから、進藤には一番迷惑をかけたと思っています」

 サードに入った進藤は、当時芝生の切れ目にかかる位、深い位置でポジションを取っていた。それ程、肩に自信があったのであろう。しかし、大きなコンバートというのは、下手をするとチーム自体が崩壊しかねない。

「あの頃、内野守備コーチを山下大輔がやっていたんですが、山下には反対されました。『これはありえません。絶対ダメです』と言うわけです。でも、自分が監督として率いるチームをプロの一流として認知させるには、目玉も作らなきゃいけない。

『このコンバートだけはやらせてくれ』ということで押し切りました。進藤はOKしてくれて、石井は僕の話を聞いて、『やります』と言ってくれました。ファーストの駒田は守備も良かったし、それであの内野が完成しました。駒田以外は全員、20代でしたからね。発展途上のチームでしたが、できるだけ早く一流のチームに早く近づけたいという思いが強くありました。

 僕が監督最初の年の東京ドームの試合で、先発させたピッチャーが有働克也、キャッチャーが谷繁だったかな。両チームのメンバー表を見ていたら、その時にいた弘田澄男ヘッドコーチが『監督うちのスタメンの選手たちより、ジャイアンツの試合に出てない選手のほうが給料がずっと高いですよ」と言い出して、すごく寂しい思いをしてね。早く給料でも一人前のチームにしなきゃいけないなと、その時つくづく思いました」

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