剛腕・山口俊を大成させた柔軟な体。
野球への情熱と鋼の意志も凄かった
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あの時もキミはすごかった~山口俊
大分県宇佐市にある柳ヶ浦高校のグラウンドに、何度か山口俊を訪ねたことがある。3年春のセンバツ前に行った際に、一緒になった広島の村上孝雄スカウト(旧姓・宮川)がこんなふうに山口を評価していた。
「体がいいのがなによりです。見るからに頑丈そうでしょ。下半身の安定感なんて、まさに相撲をやっていたお父さん譲り。勝負に対する気持ちの強さも引き継いでいる感じだし、体も心も鍛えがいがある。間違いなくウチ向きの選手ですよ」
村上スカウトはいつも興味を持った選手に「広島は好き?」と尋ねたそうだ。理由は、広島に対する思いを聞くためと、練習が厳しいことで知られるチームでやってみたい気持ちがあるかどうかという確認のためだという。
「『ここでやりたい!』と思う選手じゃないとね。だから、答えに迷う選手は追いかけません」
この話を聞いた時点でまだ山口にこの質問はぶつけていなかったが、馬力のある本格派右腕というだけで、広島で育つイメージが湧いた。
柳ヶ浦高校時代、全国屈指の剛腕として注目を集めていた山口俊 山口の父は元関取の谷嵐久。バックネット裏にある一室で向き合った山口は、グラウンドにいる時よりもはるかに大きく見え、急に部屋が狭くなったような圧迫感があった。当時の山口の身長は、父を6センチ上回る187センチ。このド迫力ボディに色白の顔と優しい目。いかにも人のよさそうな好青年といった感じで、ドラフト候補と注目を集めていた"剛腕"とのギャップが印象的だった。
山口に幼少期の頃の話を聞くと、"相撲"と"野球"の話題になった。
「小学校1年から6年まで中津市の相撲大会に出て、全部優勝でした。でも、相撲を取るのは大会の時だけで、普段は野球ばかりでした。野球が一番楽しくて......相撲取りになりたいと思ったこともないですし、父も『自分の好きな道にいったらいい』と言ってくれたので、野球を選びました」
それでも相撲に親しんだことが、野球にも大きく生きたと山口は言っていた。
「下半身の柔軟性と四股踏みで鍛えた粘り強さ。これは相撲の動きのなかで身についたと思います。小学校の頃は、夜になると父と一緒に柔軟と四股を100回から多い時は200回ぐらい踏んでいました。四股は柔軟性のほかにバランス感覚も養われますし、ピッチングにもいろいろと生きたと思います」
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