2019.12.22

元近鉄の礒部公一が語った合併問題と
「いてまえ」オールスターズ結成の夢

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

【記者嫌いになった2004年】

「近鉄バファローズ」という球団がなくなったのは、2004年11月。それからもう15年が過ぎた。バファローズという名称はオリックスに引き継がれ(現オリックス・バファローズ)、かつての所属選手は現役選手として、またコーチとして他球団で野球を続けている。2004年に最後の選手会長を務めた礒部公一は、今、何を思うのか。

近鉄が消滅した2004年に選手会長を務めた礒部 礒部の顔が連日のようにテレビ画面に映されたのは、2004年に球界再編問題が過熱した頃だった。グラウンド外でのさまざまな仕事が、近鉄バファローズの選手会長に降りかかった。

 礒部が当時のことをこう振り返る。

「あの年は、追いかけられすぎて”記者嫌い”になりました。『そっとしておいてくれ』とずっと思っていました」

 礒部はその年のシーズン当初、事の重大さに気づいていなかった。

「ネーミングライツが話題になったときも、オリックスの二軍が『サーパス』になったみたいなものかな、と思っていました。親会社が替わることは、それまでも何度もあったことは知っていましたし」

 しかし話は「身売り」ではなく、「合併」という流れになった。2球団がひとつになれば、当然、選手もスタッフも働き場所を失ってしまう。

「球団がなくなってしまうことは許せなかった。それも、12球団を10球団に減らそうという動きでしたから。僕たち選手に何ができるかわかりませんでしたが、選手会の立場で関西の企業に『買ってもらえませんか』と頭を下げたこともあります。どうにかして、合併だけは避けたかった」

【グラウンドの外で選手会長の仕事をこなす日々】

 シーズン中ではあったが、近鉄の選手会長は騒動の真ん中にいた。日本プロ野球選手会との会合、球団存続の署名活動、プロ野球初のストライキ……。

「僕たちが一番望んだのは、近鉄という球団を残すことでした。もしそのままの形が無理なら、球団ごとどこかに買ってもらいたかった。近鉄の選手、コーチ、裏方さんがそのまま移れるようにと頑張ったんですが、かなわず……しんどかったですね」

 試合中は自分のプレーに集中し、ユニフォームを脱いだあと、選手会長の仕事をこなす。試合中、ベンチ裏で携帯電話のメッセージを確認することもあった。